小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

春の池袋の夜の夢

名前が特徴的なのと、顔つきが20年前と何ら変わるところがないため、”その子”であることに疑いはなかった。友達が「いいね!」をしたことで、タイムライン上に現れたその子の投稿には、福祉施設で働く様子の写真と、そこでの近況が記されていた。

 

春の池袋の夜は騒がしかった。石田衣良原作のドラマ『池袋ウェストゲートパーク』の舞台として有名になった西口公園。新入生が入学する4月になると、夜は、新歓コンパから流れてきた学生でごった返す。そのごった煮の中のひとりとして、僕は、そこにいた。そして、”その子”は、僕の横にいた。

 

その日、ありふれたテニスサークルの新歓コンパに参加をしたのだが、たまたま座った席の横に、その子もいた。「こんにちは・・・」声を掛けられた方向を見ると、指で突いたらぱちんと弾けそうな瑞々しい眼が僕を見ていた。薄い唇をつりあげてはいるが、頬はどこかぎこちなく強張っている。決して社交的ではないが、その殻を破ろうと、頑張って声をかけてきたことがわかる。

 

僕は怯んだ。
僕などが関わってはいけない。そんな神聖な空気をまとっていた。

 

そんなその子が、それから3時間後、池袋西口公園でも、僕の横にいた。
飲み会で特別親密な仲になったわけではない。ただ、2人とも、その夜のありふれたテニスサークルの、ありふれた新歓コンパの雰囲気には、合っていなかった。

 

「よーし、じゃあこれから体操するから2人組になれ。2人組になったらその場でしゃがむように」と先生から号令がくだったものの、誰からも声がかからず、声をかけず、突っ立ったままでいたら、もう1人立っている人がいて、目が合った。そんな感じ。

 

「・・・もう帰っていいのかな?」
その子が不安げに周りを見渡しながら言った。
「大丈夫でしょ。こんな状況じゃ誰がいて誰がいないかなんかわかりっこないよ」
「そっか、そうだよね。小林くんはまだ帰らないの?」
「そだね。ちょっと酔ったから、もう少しいるかな・・・」
お酒が弱いくせに、場の居心地の悪さをごまかすために杯を重ねたため、気持ちが悪かった。
「たくさん飲んでたもんね。大丈夫?お水買ってきてあげるね」
僕が止めようとするよりも早く、腰を上げ、自販機へと向かった。
「ねえ・・・、変なこと言うようだけど」
ペットボトルのお水を僕に渡しながら、
「小林くん、小説家とかにはならないの?」
その子が頬を緩めた。
「は? 小説家?」
「うん。だって小林くん、たくさん本読んでるし、なんか雰囲気もあるよ」
飲み会の最中、お互い本を読むことが好きなのがわかり、何人かの作家や、最近話題になっている本などについて話をしていた。
「ありえないでしょ。今からプロ野球選手を目指すくらい無理があるよ」
買ってもらった水を、我が物顔で喉に流し込む。
「それに、そもそも興味がないし」
僕は、少し嘘をついた。
「なんかあるの?」
「え?」
「逆に、なんかなりたいものとかあるの?」
繕うように、会話のボールを放り返した。
その子は、西口公園の中にある噴水へと目を向けた。酔っぱらった学生が噴水の中に飛び込み、嬌声をあげている。
白い肌の上を、パチンコ店のネオンが横切る。
「・・・福祉の仕事に就きたいかな」
噴水を見やっていた目を僕に戻すと、困ったような、照れたような笑みを浮かべた。
ふくし?自身の生活において聞き慣れない言葉のため、耳には入ってきたものの、脳に入って来ない。ふくし?福祉?ああ、社会福祉の福祉か。
「福祉ってあの福祉?」
「あの福祉って?」
社会福祉の福祉?」
僕の間の抜けた問いに、控えめに頷いた。
「なんで?」
今考えれば具の骨頂のような質問だが、当時は、心底、なんで?と思った。僕も含めて、いや、僕を筆頭に、誰かのために時間を、身を費やそうとする人間は周りにいなかったから。
なんで?に対してのその子の返答は覚えていない。そもそも返答はなかったような気もするし、返答していたとしても、忘れているくらいだから、なんとなくね、くらいのぼかした答えだったのだろう。

 

その日を境に、僕たちは付き合い始めた、ということもない。連絡先を交換したわけでもない。大学内ですれ違えば、少し会話をしたりしたが、そのうち、すれ違うこともなくなった。それだけの関係。

 

それから20年。つい先日。facebookでその子を見かけた。僕とfacebookでつながっていた女友達は同じ大学だったので、サークルなのかクラスなのかはわからないが、その友達も何かの形で”その子”と繋がっていたのだろう。”その子”は20年経っても、”その子”のままだった。違ったのは、願望ではなく、実際に、福祉の仕事をしていた。

 

僕は、随分と変わった。見た目も、性格も、変わった。変わらないのは、願望が、願望のままであること。

 

2年ほど前に、私小説、というかごく私的な小説のようなものを書き、出版をさせてもらったが、それで終わり。そこから何かまとまった文章を書くでもなく、依頼があるわけでもない。

 

もうこのままでもいいかな、と思ってもいたが、”その子”を見かけてから、どうにも心が落ち着かない。あの日の、池袋の夜に、引き戻される。

 

そういえば、水のお礼、たぶん言ってなかったな・・・。
写真の中の”その子”を見ながら、そんなことも、思い出した。