小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

「大丈夫?」も言えなくて

昔のことを振り返ったり、子供の頃の話を親や友人としていると、思い出す人がいる。

 

彼女のことは、昨年に出版させてもらった書籍にも記したが、名前は、恵理ちゃんにしておく。恵理ちゃんは、僕がはじめて、この人のこと好きだな、と思った人。恵理ちゃんは転校生で、親しく話すような友人もいなかったように記憶しているが、小学校中学年の僕は、恵理ちゃんに、恋をした。

 

きっかけは、単純なもの。

 

「かわいそう・・・。痛いよね、これ。後で、ばんそうこうあげる」

 

恵理ちゃんがかけてくれた、その一言だった。
当時、僕はひどい乾燥肌で、手の平のひらがボロボロに向けていた。クラスメイトにそのことをよくからかわれていたので、極力手のひらを見せないように過ごしていたのが、ふとしたきっかけで、恵理ちゃんに見られてしまった。そして、からかわれることを覚悟した僕に、彼女がかけてくれた言葉が、前述のものだった。

 

 

痛みを抱いている人や、悲しみに沈んでいる人に対して、

 

「大丈夫?痛いよね?」

 

と声をかけることは、容易いようで、難しい。心では思っていても、言葉に出し、手を差し伸べようとする人は、そう多くない。それは優しさが欠けている、ということではなく、遠慮や照れ、躊躇といったどうでもいい感情だったりする。

 

どうでもいいことが、肝心なことを阻害する。

 

僕もそうで、38歳になった今でも、こんなことしたら迷惑かな、怪しいと思われるかな、とあれこれといらぬことに頭をめぐらせてしまい、行動に移せないことがままある。

 

でも、恵理ちゃんは違った。恵理ちゃんは肝心なことが、大事なことが、わかっていた。
彼女の境遇や生い立ちがそうさせるのか、そもそもの性質なのかはわからないが、とにかく、彼女はわかっていた。

 

 

そして、彼女に関連してもう一つ思い出すことがある。手のひらのやり取りより後のことだが、プールの授業中、プールサイドを歩いていた恵理ちゃんが、足を滑らせ、勢いよく尻もちをついたことがあった。

 

仲の良い友人がいれば、「ははは、何やってんだよー」と冗談交じりに笑い飛ばしたりできたのだろうが、恵理ちゃんにはそういう友人がいなかった。一瞬の沈黙のあと、周りにいた男子たちが、一斉に笑い声をあげた。それは、冗談交じり、といったものではなく、あざけり笑うような嘲笑混じりのものだった。

 

そして、僕も、笑った。
「かわいそう・・・。痛いよね」と僕の手のひらを案じてくれた人を、笑った。
おかしかったわけではないが、周りに合わせた。

 

恵理ちゃんはうつむていた。
恥ずかしさに顔を伏せたのか、涙していたのかはわからないが、髪で顔を隠すように下を向いていた。

 

 

それだけの思い出だが、今でも僕の中に残っている。
「大丈夫?」その一言くらいが、どうして言えなかったものか。