小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

黒い点

僕の母には、変な癖があった。

悲しいことがあると、メモ用紙に、思いついたもの、目についたものを書くという癖。

 

母にそのような癖があることを知ったのは、僕が6、7歳の時だったと記憶している。

ある日、近所の子供と外で夕方まで遊んだ後、家に帰ると、母が誰かと電話をしながら涙を流していた。

 

相手が誰なのか、どのような会話をしていたのか、それはわからない。

ただ、しゃがみこんで涙を流していたことだけは鮮明に覚えている。

 

うわ。見てはいけないものを見たと思った僕は、居間へと踏み出した足を慌てて引っ込めて、そのまま隣の和室へと体の向きを変えた。

 

母の姿を視界に捉えたのは一瞬のことだったが、それでも、涙を流す姿、そして、泣きながらメモ用紙の上に鉛筆を走らせていた姿は僕の脳裏に刻まれた。

 

十分、ニ十分ほどたち、もう大丈夫かな、と思い居間へと向かうと、電話は終わっていて、母は僕の姿を見るなり「今から御飯だからね」と照れたように言い残し、台所へと姿を消した。

おそらく、僕に泣いている姿を見られたことに気付いていたのだろう。

 

何だかよくわからないけど、終わってよかった。

安堵した僕がおもむろに机の上に目をやると、いくつかの単語が記載されたメモが置いてあった。

 

あ、さっき泣きながら書いてたやつだな。

手に取ると、そこにはこう書かれていた。

 

庭。皿。椅子。慎太郎。空。

 

もう三十年近く前の記憶だが、この単語だけは今でも克明に覚えている。

 

 

この時はこのメモにどんな意味があるのか、いや、このメモに意味などないことはわからなかったのだが、その後も、同じようなことがたまに続き、何回目かで、あ、これは何の意味もないんだ。ただ単に、目についたものなんかを書いているだけなんだな、ということに気付いた。

 

我が母ながら、変な癖だな、と思った。

 

ただ、話はここで終わらない。

遺伝子とともに、その癖を、僕も踏襲した。

 

母が、悲しい時やつらい時に意味のない言葉をメモ帳に書きなぐることを知った僕は、変な癖だな、と思うと同時に、なるほど、文字を書くと気持ちが落ち着くのかな、と思った。

 

それからは、僕も悲しいことやイヤなことがあると、母を真似て、浮かんだ言葉や目についたものをノートに書くようになった。

 

えんぴつ。ノート。せんせい。ぼく。わたし。くも。たいよう。けしごむ。

 

当時、何を書いたのかはまったく覚えていないが、、まあ、こんなようなことを書いていたのだと思う。

 

そして、まだ、話はここで終わらない。

 

僕が中学生になり、小説を読み始めるようになると、今度は、単語ではなく、文中にある好きなフレーズや一文をノートに書くようになる。

 

むしゃくしゃした時や、悲しい時、悔しい時、文庫本を開き、ぱらぱらとめくり、目についた文章を書く。

 

さらに、まだ話は続く。

 

中学三年生くらいになると、今度は、短編小説をまるまるノートに書き写すということを始めるようになる。長編小説はさすがに書き写す気にならなかったが、好きな短編小説を、何日もかけ、ノートに書き写し、気持ちを落ち着かせるということをするようになる。

 

中学生くらいになると誰しもが思春期を迎え、多感になり、多かれ少なかれ鬱屈とした何かを抱えるようになると思うが、僕の場合、人よりも思春期をこじらせていたため、自分自身とまったくもって折り合いがつかず、どうにも困った日々を過ごしていた。

 

よって、毎日のように、ノートに、言葉やフレーズ、短編小説を書き写していた。

 

こんなわけのわからないことやってるの僕くらいだろうな・・・、と思っていたが、中学生のある日、自分と同じようなことをしている子に出会った。

 

中学生の時のクラスに、いじめられていたというわけではないが、顔つきや発している空気が暗いせいか、クラスの誰とも会話をせず、お弁当も一人で食べている女の子がいた。

 

ある日、友達と休憩時間に会話をしていると、

「なあ、〇〇だけどさ・・・」

とその子の名前を口にした。

「いつも休憩時間にノートになんか書いてるじゃん」

ああ、そう言われてみると、いつも何か書いてるな。窓際の席でノートに向かうその子の姿に思いを巡らせていると、

「この間さ、〇〇の横を通った時、ちょっとノートを見たらさ、勉強してるとかじゃなくて、なんかわけのわからない文字を書いてんだよー」

「わけのわからない文字?」

別の友人が問うと、

「そ、クラスの奴の名前だったり、空とか雲とか家とか・・・、気持ち悪くね?」

「うわ、なにそれ、こわっ!」

友人たちの会話をよそに、僕は、あ、同じだ、と思うと同時に、ああ、そうか。俺、気持ち悪いんだな・・・と思った。

 

その後、気持ち悪いみたいだから早く止めなきゃな、と思うものの、子供の頃からの習慣だからそう簡単には止められない。

結局、高校を卒業するくらいまで、僕のその癖は続いた。

 

大学に入り、卒業し、就職し、いつの日かそういう習慣を持っていたことは、僕の中では忘れ去られた記憶になっていたが、ある時、そのことをふいに思い出した。

 

 

今年の一月に僕が本を出版させていただくことになった時、まず思ったのは、書けるのか・・・ということ。

文字量という意味でもそうだったし、論文のようなものを書いたことはあれども、物語形式で文章を書いたことなどない。作法のようなものを何も知らない。大丈夫なのか? と。

楽しみでもありつつも、不安の方が遥かにまさる心持で、僕は書きだした。

 

結果としては、書けた。

 

内容の良し悪しは僕の判断するところではないので何とも言えないが、文字量という意味でも、本にできるくらいの作法、形式という意味でも、書ききることができた。

 

原稿を書き進めながら、何とかなりそうだぞ、という安堵感を覚えつつ、僕は、わけのわからない習慣を、他者から見たら気持ち悪いとも受け取れる習慣を続けていた僕に感謝した。

 

文章作法を学ぶためという目的ではまったくなかったが、それでも、あの頃に書き写していた小説が、僕に作法を教えてくれたのだと思ったから。

 

まさに、点と点がつながる、というやつだ。

 

僕は代筆の依頼者とは物理的な都合、時間的な都合がつく限り、直接お会いして詳細をうかがうようにしている。

 

そして、利害関係のまったくない第三者、かつ、人生においてもう二度とすれ違うことのないであろう人間という気安さからか、多くの依頼者が、本題とは関係のない話も、あけすけに色々としてくださることが多い。

 

そして思うのが、代筆の依頼者にそういう人が多いのか、世の中全体としてそういう人が多いのかはわからないが、ほとんどの人が、何かと折り合いをつけられずにいる。

 

それは、いじめられていた過去だったり、愛する人を失った喪失感を引きずる現在だったり、夢も希望も見出せない未来だったり、根暗で可愛くない自分だったり。その対象は様々なのだけれど、何か、どこか、負っている。

 

「点と点が線になる」

「人生に無駄なことなど何一つない」

 

言葉としては知っていても、それは成功者の結果論であって、そんな甘くないよね、と僕は思っていた。いや、今でも信じ切れてはいない。そんな甘くはないよね、とやはり思う。

 

でも、かつてよりは、受け入れられる。

 

過去のいじめや、喪失感、愛せない自分。

そういうものが、そういうものこそが、自分の心の中に黒い点として残るものこそが、いつか、どこかに、つながってゆく。

 

そんな甘くはないよね、と思いつつ、そういうものかもしれないな、とも今は思ったりもする。

 

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