小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

春にして君を想う。

「彼女の人生は幸せだったのかと。幸せにできていたのかと。色々と後悔が残っています・・・」

 

ラブレターの代筆をはじめてから一年ほどが経ったある春の日、依頼者がもらした言葉。奥様が若くして病気を患われ、過去を振り返り、後悔をし、感謝の気持ちをしたためたいということで、僕に相談をされてきた。

 

”彼女の人生は幸せだったのかと”

その言葉に、僕は少し違和感を覚えた。

 

僕は、40歳を前にした今日に至るまで、近い間柄の人、過去は親密だったが時が経ち疎遠になっていた人、人生で一時すれ違っただけの人、関係性はさまざまなれど、何人かの人の訃報に触れる機会があった。この歳になれば、別に特別なことではないだろう。

 

どのような間柄の人だとしても心は動くが、特に、近い人の報に触れた時、平静でいるのは難しい。僕が若かったというのもあるかもしれない。

 

まさに、冒頭の依頼者のように、幸せだったのか? 短すぎないか? もっと優しくできなかったのか? 僕の言動で何かが変えられたのではないか? と、自問自答する。

 

そんな状態が短くない期間続いたが、ある日、ふと思った。

特別なきっかけがあったわけではないが、ふと思った。

 

幸せだったのか? という問いは、あまりにも不遜な問いなのではないか、と。

 

幸せだったのか? と問うということは、言い換えると、幸せな人生ではなかったのではないか、と思っているということだ。

 

果たして本当にそうなのか?

 

僕と接した時間などたかが知れている。

人生全体から見れば一瞬だ。

それなのに、なぜ、幸せではなかった、などと言えるのか。

 

相手の幼少時代を僕は知らない。

子供時代を僕は知らない。

大人になってからの日々もほとんど知らない。

 

朝、目覚めた時に何を想い、日中、街中を歩きながら何を考え、夜眠る時にどんなことに思いを馳せながら目を瞑るのか。

僕は知らない。つまり、ほとんど、何も知らない。

 

この世に生を受け、両親の眼差しに見守られながら育ち、気の合う友達に囲まれ、時に笑い、時に涙し、時に恋もしたはず。

恋愛映画に胸を弾ませ、流行の服に嬉々として腕を通し、おいしい食事に笑みをこぼし、覚えたてのお酒にうっすらと酔い、昼間の光を含んだ温かい布団で静かに眠る。

 

僕の知らない、幸せな時代、満たされた時が必ずあったはずだ。

 

それなのに、すべてを共にしてきたわけではないのに、なぜ、「幸せだったのか?」などと、上から問うことができるのか。

 

そう、ある日、ふと思った。

 

それからは、以前よりは随分と気が楽になった。

喪失感や寂寞の思いはあれども、幸せだったのか? という問いは消えた。

 

なぜなら、幸せだった、と思えるようになったから。

 

一時でも満たされた時間があったのであれば、その人の人生は、最高とまでは言えないかもしれないが、そう悪いものではなかった、と思えるようになったから。

 

それは勝手な思い込みかもしれない。

でも、きっと、そういうものだと、今は思っている。

 

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