小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

「夢」「目的」「意義」は、別にいらないと思う

夢、目的、意義・・・。
これらの言葉を目にすると、これらの言葉を耳にすると、僕は違和感を抱きます。
いや、率直にいうと、これらの言葉が好きではないです。
いや、キライです。

でも、その理由が自分でもよくわかってなくて、
シャイな天邪鬼なひねくれ者だからかな・・・くらいに思っていたのですが、ほぼ日の↓の記事を読んで、ああ、そうか!と、自分なりにその理由を整理できたので、今日はそのことについて語りたいと思います。

 

ほぼ日刊イトイ新聞-脳の気持ちになって考えてみてください。 〜「やる気」と「脳」の話を、池谷裕二さんと。〜

 


違和感を抱く理由は2つあり、1つは、「今」が全然楽しそうじゃない、ということ。

夢や目的、意義から物事を出発させる人は、その姿勢に対しては、「ほう、立派じゃないか」と感心するものの、「今」が全然楽しそうに見えない。

「今」を我慢することで、「今」を頑張ることで、充実した「未来」を目指す、という理屈だとは思うのですが、超がつくほどのせっかち人間である僕からすると、


「未来」までは待てないし、
「未来」があるのかどうかは不確かだし、
「未来」が具体的にいつなのかよくわからないし、


で、とにかく待ちきれません。

また、「今」を我慢する必要があるということは、そもそもとして、今やっていることそのものは、別に好きじゃない、興味がない、ということだと思うのです。


要は、掲げた夢なり、目的に到達することそのものに興味があるだけで、やっていることそのものは別に興味がないのだろうな、と。

もしくは、”夢や目的を目指す自分”に興味がある。

そのどちらかではないかと。

例えるなら、起業して会社を上場させることには興味があるが、そのための日々の業務や仕事内容は、さして興味のあることではない、ということだと思うのです。

 

「今」やっていることが心底自分が楽しめるものであれば、別に我慢は必要ないし、わざわざ、俺はこういう目的や意義のためにやってるんだ!と喧伝する必要もないわけで。


これが違和感の1つ目。

そして、違和感を抱く理由の2つ目は、義務的になってしまう、ということ。

これが前述のほぼ日の記事からの気づきだったのですが、記事内では、結婚式の常套句である「しあわせになります」という言葉を引き合いに、

 

親戚や友だちが大勢集まったりすると、
お二人は、しあわせでならねばならぬ、という
義務を背負ったつもりになってるでしょう。
でも、それは義務じゃないですよ。
しあわせになんかなんなくったって、
いいんですよ、っていうのが、
ぼくのお祝いのことばになってます、最近。
だって、そんなことに追われちゃダメだよ。
しあわせになんなきゃと思ってたら、
人に見せるしあわせになっちゃうからね。

 しあわせになろうと思ってた人が、
どう不幸になったかって歴史は
結婚にかぎらず、いっぱい見てますからね。
自分でも、小さくたくさんやってますよ。
これがしあわせなんだっていう枠に、
自分たちを当てはめたくなっちゃうんだよね。

 

という表現をされてますが、まさにそうで、


「目的を達成します!」
「意義のあることをして貢献します!」


と宣言した瞬間、それはもう義務になります。
途端に、窮屈になります。
勝手に自分で枠を設けてしまいます。
つまらなくなります。

だから、あまり、そういうものは逆に明確にしないほうがいいのではないか、と。
ふわふわぁ、とさせたほうがいいのではないか、と。


というような理由から、
僕は、夢、目的、意義、といった言葉が好きではないのだろうな、と思った次第です。


でも、やっぱり、単なるひねくれ者なんだろうな、とも思うわけですが、、