小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

社会人になったら。

就職を控えた学生さんや、初々しい新入社員の子たちを見ると、いつも思う。
そんなに構えなくていいのに、と。

 

自分もかつてそうだったからわかるが、彼ら、彼女たちの頭の中には、学生と社会人との間には明確な一線があり、社会人になったらちゃんとしなくちゃならない!という気負いがあるのだろう。

 

それ自体は悪いことではないし、緊張感を持つことは良いことだと思う。ただ、残念ながら、という表現が適切かはわからないが、学生も社会人も、大して変わりはない。

 

内定者と話をしていると、「社会人になったら海外旅行に行ったりできないでしょうから、卒業前に旅行に行きます!」という声をよく耳にする。

 

その場は、調子を合わせるように「そうだね、今のうちに行っといたほうがいいよー」と言うが、実のところ、社会人になっても海外旅行は行ける。これは会社によって差があるだろうが、とりあえず、僕が所属している会社は、行ける。夏休みや冬休みなど、1週間程度休むことはざら。人によっては、2週間くらい休んだりもする。海外旅行は学生の専売特許ではない。

 

「通勤ラッシュが嫌なんですよねー」という声もよく聞かれるが、今は、フレックス制度を導入している会社も数多くあり、必ずしも、8時や9時に出社をする必要はなかったりする。ちなみに、僕は毎朝10時に出社をしている。ラッシュどころか、2日に1回は座れる。

 

「社会人になったら遅刻なんて絶対ダメですよね?」という質問も多い。確かに、遅刻はダメだが、毎日のように、誰かしらは遅刻している。社会人だって、深酒をしたり、夜中までテレビを観たり、目覚ましをかけ忘れたりする。

 

「会社の中で恋愛なんかダメですよね?」
いや、別に。結構いるよ。

 

要は、社会人にも自由があるし、縛られてはいないし、時に、だらしがないし。

 

「自由」という観点で言うと、親の庇護下を離れ、また、自由になるお金も多い分、社会人の方が自由かもしれない。少なくとも、僕は、今の方が快適だ。

 

学生の頃は、「大人になんかなりたいくない!」と青白く喚いていたが、今は「学生になんかなりたくない!」という気分だ。

 

だから、社会人になることに対して、身体を強張らせる必要はない。
あれ?こんなもんか、と思うはずだ。

 

そして、こうも思うはず。

 

あれ?意外と、楽しいかも、と。

 

 

 

 

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どうやら、「続ける」を「続ける」しかなさそうだ。

ラブレター代筆という仕事の特異性から、メディアに取り上げていただくことがたまにある。あまつさえ、書籍出版の機会もいただいた。

 

一介の会社員がメディアに取り上げていただく機会などなく、当初は、取材を受けるたびに、鼻息を荒げ、胸は高鳴り、声は上ずった。ただ、そのうち、気づいた。別に、何も変わりはしないな、と。

 

唯一起こる変化とすれば、「本を出しました!」「~に取材してもらいました!」と報告をすると、facebookの「いいね!」がいつもより多めにつくことくらい。その一事だけでも最初は嬉しかったが、そういう自己顕示欲もそのうち減少し、残ったのは、本を出そうが、メディアに出ようが、別に何も変わりはしないな・・・、という思い。

 

そして、気づいた。
やっぱり、「続け」なきゃダメなんだな、という事実。
単発的に何かをしようが、何も変わりはしない、と云う事実。

 

 

話が少しそれるかもしれないが、以前、ホリエモンこと堀江貴文さんが、一流の寿司職人になるために何年も修行をする必要はなく、料理学校に数か月通えばなれる、という旨の発言をし、物議を醸したことがあった。

 

”一流”の定義を、業績的な成功、とするのであれば、確かに、そうだと思う。料理学校卒の人でも、やり方やセンスによっては、人気店にすることもできるだろう。

 

ただ、料理学校卒の人で成功した人だって、何かを「続けて」いるはずだ。それが他店の調査なのか、マーケティングやPRの勉強なのか、握りの練習なのか、何なのかはわからないが、何事かは「続けて」いるはずだ。単発的に何かをして、はい、成功しました!ということはないはずだ。

 

堀江さんの先の発言も、別に「続ける」必要性を否定してのものではなく、成功のためのアプローチが、必ずしも「下積みを何年もすること」ではない、という主旨だと思う。

 

だから、メディアに出るなら出るで、出続けなければ結果にはつながらないと思うし、出続けるためには、出続けるための工夫や勉強を続けなければいけない。つまり、「続ける」を「続け」なければならない。

 

つまらない結論だが、どうやら、それしかなさそうだ。

 

そんな気付きから、本ブログも「毎日更新するぞ!」と意気込んだものの、ちょっと眠いと、「寝不足だと明日の仕事に影響するからな・・・」と、惰眠を貪ってしまう私。
成功への道は、険しく、長そうだ。

 

せめて、成功を夢見ることくらいは続けよう、と思う。

 

 

 

 

恋文横丁

「恋文横丁」というのは、渋谷に実在した横丁の名前。朝鮮戦争当時、日本に駐留をしているアメリカ兵に想いを寄せるものの、英語ができない日本人女性が数多く存在した。そのような女性たちから依頼を受け、英文でラブレターを書くいわゆる「代筆屋」が、その横丁に存在したことからそのように名付けられたらしい。

渋谷の文化村通りに面した、ヤマダ電機の脇にその横丁はある。
行ったことがある人ならわかると思うが、実際に足を運ぶと、驚く。

なぜ驚くのか?
”恋文横丁 此処にありき”という記念碑が、
今にも朽ちそうな頼りない姿で佇んでいるだけだからだ。

名称から想い起こされるような、哀感と浪漫漂う横丁は存在しない。

「なにこれ?」
「こいぶみ・・・よこ・・・ちょう?だって。なんだろうな」
「なんかわかんないけど、汚いねー。ははは」

はじめて記念碑を訪れた時、僕が立ち止まってじっと見つめているものだから、
なにかあると思ったのだろう、後ろを通りすがったカップルが足を止めた。そして、
「”こいぶみ”って言葉はじめて口にしたわー」

という言葉を残してその場を去っていった。
その後は、誰一人立ち止まることなく、渋谷の街を、恋文横丁の跡地を、足早に行き過ぎる。なにも知らない人からすれば、薄汚い木の棒があるに過ぎないのだ。当然だろう。

ただ、最初に目にした時こそ、想像していた姿との乖離に少し驚いたものの、時間が経つにつれ、いいな、と思うようになった。
往時の跡形をとどめることのないその姿が、いいな、と思った。

僕が手紙なり代筆業という仕事に少しばかり愛着を持っているのも、同じ理屈なのだろう。
手紙は、時間の経過とともに、その姿を明確に変化させていく。
日に焼け、紙が老朽化し、破れ、消える。

代筆業という仕事だってそう。そこで扱う、”気持ち”というものは、ひどくあやうい。
朝に出会い、昼に恋をし、夕刻にくっつき、夜に破局することだってある。
ひとつどころに定まることなく、変転する。

手紙や気持ちというものが、不変を約束されたものなのであれば、
約三年もの間、この仕事を続けてこなかったと思う。
そもそも、はじめてもいなかったかもしれない。

誰も足を止めることのない記念碑の前で、考える。
代筆屋に依頼をした女性で、その後、しあわせになった人はいるのだろうか、と。

そもそも、ラブレターを渡し、実った恋がいくつあるのだろうか。
そもそも、恋が成就したとして、先に進み、結婚に至った人はどれだけいるのだろうか。
そもそも、結婚したとして、当時の時代背景からして、戦争相手の国籍の伴侶とともに
生きていくことは、たやすいことではなかったのではないか。

そもそも・・・、そもそも・・・。
さらに思いを巡らそうとしたが、やめた。意味がない。

相手が米兵であろうとなかろうと、
完全なるハッピーエンドなど、不変なものなどない。

記念碑に背を向けると、僕は行き過ぎる人と歩調を合わせ、歩きはじめた。
恋文横丁は当時の面影すら残していないが、横丁を行き来していた女性たちが米兵に抱いていたような感情は、今も、どこかで、誰かが抱いている。

不変なものはないが、場所を変え、人を変え、受け継がれていくものはある。
横丁はないけれど、当時の女性たちの想いは、この街で、ずっと継がれていく。

それでいいし、それがいいと、思う。

 

 

 

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ラブレターを書くコツ

「ラブレターを書くコツを教えてください」

 

僕が代筆屋をしていることを伝えると、必ずといっていいほど訊かれる。
当初は、したり顔で、書き出しがどうとか、表現がどうとか語っていたが、最近はそういうのは止めた。

 

「名前を書くだけで大丈夫です」
こう答えるようにしている。
そう言うと、洒脱なジョークと受け取られるのか、多くの人が「ははは、ご冗談を」といった様子で笑う。

 

ただ、僕はわりと真面目にそう答えている。

 

想像してみてほしい。朝、会社に出社をしたとする。すると、デスクの上に桜色の封筒が置かれている。なんだろう?首を傾げながら開封すると、中には封筒と同色の二つ折りにされた便箋が一枚。便箋を広げると、そこには何も書かれていなかった。と思ったら、一番最後の行の右端に、小さく、丸い文字で、部下の女の子の名前が書かれている。

 

ラブレター

 

告白のラブレター。誰しもがそう想像できる。何も書かれてはいないが、想いを汲み取ることができる。何も書かれていないからこそ、逡巡や、躊躇、奥ゆかしさが感じられる。

 

これが電子メールであれば、誤送信かな?と思う程度だが、手紙だとそうではない。
手紙には、そういう力がある。そう思う。

 

「名前を書くだけで大丈夫です」

 

だから、僕は、わりと真面目にそう答えている。

 

”名前”ということで思い出すことがある。

 

その日、小学生の僕は、いくつかの義理チョコが入ったランドセルを背負いながら、俯きつつ、家路を歩いていた。義理チョコと言えども、10個ほどもらった。喜ぶべきかもしれないが、僕の気分は浮かなかった。あの子からもらえなかったから。

 

15分ほど歩き、家に着く。
なにげなく、駐車場に止めてある愛用の5段式自転車に目をやると、カゴの中に、緑色の包装紙に包まれた、薄い、長方形の、箱が見えた。

 

もしかして。

 

自転車に駆け寄る。
丁寧に包装紙をはがそうとしたが、慌ててしまい、ビリビリに包装紙が破れる。包装紙の中からは、”chocolate”と印字された銀色の箱と、クリーム色の、小さなメッセージカード。

 

緑色の包装紙を握りながら、僕は、数日前のある会話を思い出していた。

 

「……ねえ、何色が好き?」
「え、なんで?」
「……うん、クラスのみんなに聞いてるんだ」
「へー、変なの。なんだろうー、緑かな」
「そっか、そうなんだ」

 

休み時間に、普段ほとんど会話をしたことがない彼女から、突然訊かれた。
頭の中で会話を反芻しながら、僕は包装紙を握る手に、ぎゅっと力を込めた。

 

ただ、その後、何かが変わったかというと、何も変わらなかった。
ホワイトデーのお返しもしていない。

 

なぜなら、同封されていたメッセージカードには、名前も、メッセージも、何も書かれてはいなかった。

 

ただ、ただ、余白が広がっていた。
たぶんそうなのだけれど、でも、彼女からのものであるという確信が持てなかった。

 

それ以来、今日に至るまで、何人かの人を好きになり、何人かの人から想いを寄せられ、告白し、告白をされた。

 

手紙をもらったこともあるが、どれも名前がしっかりと書かれていた。
だから、お付き合いに発展したものも、そうでないものもあるが、とにかく、その先に進んだ。

 

先に進むことなく、後ろに下がるでもなく、行き場なくその場に留まったのは、
あの時の彼女からのものだけ。

 

もし・・・、とたまに思う。
もし、彼女からのメッセージカードに名前が書かれていたら、今の僕も、今の彼女も、
少しだけ違う場所にいたのかもしれない。

 

もう一方で思う。
今まで38年生きてきた感触として、幸も不幸も、人も、結局行き着くところに行き着く、と。
だから、あの時に名前があろうとなかろうが、僕も、彼女も、今のこの場所にいるのだろう。

 

「名前を書くだけで大丈夫です」

 

そう答えるとき、僕は、わりと真面目にそう言っている。

 

 

 

告白するべきか、せざるべきか。それが問題だ。

「まぁ、結果論ですけど、告白しなきゃよかったかもですねー。告白しなかったらこんな気持ちにもならないし」

 

夜の新橋。寿司屋のカウンターで、僕と依頼者は並んでいた。
依頼者の一言に、僕は、漬けマグロへと伸ばしかけた手を止める。

 

ははは、冗談ですよ。直後、依頼者はそう笑い飛ばすと、中トロを口へと放り込んだが、口調から、心の底から本心、とまではいかずとも、まったくの冗談ではないことは察せられた。
「思ったんですけど、やっぱり、社内の新人に手を出すのはよくないですよね。うまくいったとしてもごちゃごちゃしたでしょうから、結果オーライってやつですね、うん、うん」

 

自分自身の気持ちを宥めるように、諭すように、依頼者が自分の言葉に頷く。

 

通常、依頼者と食事をしたり呑んだりすることはないのだが、同年代ということもあり、依頼内容のヒアリング時に会話が弾み、「今度ご飯でも行きませんか?告白がうまくいけば祝勝会、ダメだったら残念会ということで」と誘われ、食事をする運びになった。
もし結果がダメだったら気まずいな・・・という考えが頭をよぎったが、ダメだったらそもそも誘われはしないだろう、と思い、応じた。
結果、ダメで、気まずい状況になった。

 

おそらく、依頼者も声をかけるべきか否か逡巡したはず。だが、気まずさもよりも、約束を違えるほうが抵抗があったのか、「もしよろしければ・・・」とメールを送ってきた。アッシュグレーに染められた髪と、なめらか、というよりはつるつると締まりのない口調から、浮ついた印象を受けるが、その実、律儀なのだろう。

 

それからは話がそれ、そらした、といった方が適切かもしれないが、自分たちが幼少時に流行った漫画の話などを交わしたのち、散会した。
自分の分を払おうとする僕を押しとどめ、代金は依頼者が支払ってくれた。そのことが、余計に僕の心を重くした。

 

帰路、普段吞みなれないお酒に顔を赤らめつつ、どうするのが正しいのかな・・・、とひとり頭をめぐらせた。

 

告白をした方がいい。うまくいけば当然嬉しいし、うまくいかなくても、あれこれと思い悩む日々から解放され、次へと進むことができる。結果、どちらに転がってもいい。
そう思い、信じ、活動をしてきた。

 

だが、迷うところもある。
正直なところ、永遠の愛なるものの存在は疑わしい。

 

人が、生まれたその日から死に向かっていくのと同様、告白をしてうまくいったその日から、終わりへと向かう。はじまりと終わりが対なのであれば、そもそもはじまらないほうがいい。好ましい考え方ではないが、理屈としては理解できる。

 

前述の依頼者とのやり取りから一週間ほどが経過したある日、僕には五歳の息子と二歳になる娘がいるが、息子が恋をしたらしい、という噂が家庭内で聞こえてきた(もっとも、二歳になる娘はまだ話せないので、妻から聞いただけなのだが)。

 

もうそんな年頃になったか・・・と感慨に浸りながら、「同じクラスの子?」「名前教えろよー」「好きっていっちゃえばいいじゃん」などとからかいの言葉を投げる。
最初は「うるさいなー」「やめてよー」と笑い混じりに言っていた息子だが、どうもしつこすぎたようで、突然、「うるさい!ふられたらどうすんだよ」と口をとがらせながら、僕の膝小僧を思い切り拳で殴りつけてきた。五歳にもなるとなかなかに力があり、痛い。

 

先日の依頼者との一件と、本気で息子に怒られたということが加わり、やっぱり告白などしない方がいいのか・・・と、わりと本気で気落ちする。

 

その夜。
夜中にひとり作業をしていると、先日の依頼者からメールが届く。
苦情?と少し緊張を覚えながらメールを開く。

 

先日はありがとうございました。残念な結果でしたが、今度派遣で来た子がかわいくて、好きになりそうです!またお願いするかもしれません。その際はお願いします。

 

とのこと。
告白をするべきか、しないでおくべきか。
どうでもよくなった。

 

そもそも、告白をするべき!しないべき!と導くのは、僕の領分ではない。

 

依頼が来れば、はい、と言って引き受けるし、来なければ何もしない。
それだけのことだ。

 

ただ、上記依頼者から再び依頼が来た際は、少し検討をさせてもらいたい、と思う。

 

 

 

 

「仕事って楽しいですか?」

その日、僕は、新卒採用における面接官を務めていた。
そして、ある学生さんとの面接の終わりに、こう問いかけた。

 

「最後に、何かご質問はありますか?」

 

月並みな質問。

 

「今後のビジョンを教えてください」
「仕事をしていてやりがいを感じる時はどんな時ですか」
「一日のスケジュールを教えてください」

 

月並みな質問に対して、月並みな問いが来るものと思っていたが、その学生さんは少し違った。

 

「仕事って、楽しいですか?」

 

ゆっくりと、丁寧に、そう訊いてきた。
文字でみると、なんだその問いは・・・、と思うかもしれないが、切実な学生さんの様子に、僕も真剣に質問を受け止め、考えた。

 

「楽しいか、ですか?うーん、そうですね・・・」

 

どうだろう。どうなんだろう。
きっと、学生さんのいう”楽しい”は、ボーリングに友達と行って楽しい、カラオケに行って楽しい、合コンでわいわいして楽しい、と云った意味での”楽しい”なのだろう。そういう定義であれば、楽しくはない。

 

「まあ、楽しくはないですね。でも・・・」

 

僕がそう言うと、少し顔をしかめた後、「そうですよね・・・。すいませんでした」とその学生さんは言った。

 

「でも・・・」の先を続けようとしたが、学生さんが机上のノートをしまい、帰り支度をはじめたので、僕は言葉を飲み込んだ。

 

でも・・・、楽しくはないかもしれないが、満たされている。楽しいだけが、幸せではない。そう思う。

 

ボーリングやカラオケ、合コンを毎日続けたとしても、三日もすれば飽きるだろう。時に学校があり、時にアルバイトがあり、時にボーリングをする。だからこそ楽しいのであって、毎日では飽きてしまう。

 

仕事も同じではないだろうか。時に叱られ、時に褒められ、重圧を負い、達成し、また苦しみ、嘆き、喜ぶ。緩急、喜怒哀楽が入り交じり、”楽しい”だけではないからこそ、たまに訪れる”楽しさ”が際立ち、満たされ、幸せを感じるのであり、達成しっぱなしでは、逆に面白くない。

 

それに、毎日楽しいことだけやっていたとしても、なんだかスコアが出ないな・・・、投球フォームが定まらないな・・・、といった形で、楽しさの中から、苦しさや悩みが生まれてくると思う。つまり、純粋に、楽しいだけのものは存在しないと、僕は、思う。

 

そういうことも含めての、「まあ、楽しくはないですね」だったのだが、ちょっともったいぶった言い回しをしまったと反省をしている。きっと・・・、いや、確実に、あの学生さんには伝わっていないだろう。

 

「仕事って、楽しいですか?」

 

今度訊かれた時は、端的にこう答えよう。

まあまあね、と。

 

 

 

空は、青いか。就職活動の思い出。

あ・・・。
朝食のトーストをかじる手を止めた。じっとテレビを見つめる。
NYのマディソン・スクエア・ガーデンからの中継で、女性のニュースキャスターがアメリカの政治情勢について語っている。

 

語っている内容に興味ははない。興味があるのは、彼女の後ろを通り過ぎたアジア系の女性。しかしながら、あらためて画面を注視した時には、ただの通行人に過ぎないその女性はいなくなっていた。

 

まあ、そんなわけないよな・・・。
僕は再び、お腹を満たすことに集中した。

 

「ねぇ、どこの大学?」

 

十数年前の8月。型通りの濃紺のスーツ、いわゆるリクルートスーツに身を包んだ僕は、太陽の光にさらされた木製のベンチに腰をかけていた。

 

とあるIT企業の最終面接を終え、役員から矢継ぎ早に繰り出された質問に疲れ果て、駅まで向かう力もなく、英気を養うべく、ビルを出たところにあるベンチに倒れこむように身を委ねていた。

 

「どこの大学?」

 

また、声が聞こえた。
自分に向けられたものにしては声が遠く、放っておいたが、どうやら無関係ではないらしい。

 

声の方へと顔を向けると、僕と同じ並び、二メートルほど横にあるベンチに座っている女の子が、

 

「こんにちは」

 

やっと気づいてくれた、といった感じの、あきれたような、安堵したような表情を浮かべた。彼女も就職活動中のようで、僕と同様、お決まりのリクルートスーツに身を包んでいる。

 

スカートスーツなので、女の子とわかるものの、ベリーショートの髪、若さを謳歌するような陽に焼けた肌が、男にも女にも寄らない、中性的な印象を彼女に与えていた。

 

あ、どうも。
唐突に話しかられたことに少し戸惑いつつも、軽く頭を下げると、〇〇大学ですよ、と僕は応えた。

 

「えー、いいなぁ! わたし、そこ受けたんだけど落ちたんだよね。ほら、そこの大学が舞台になったドラマあるじゃない? あんなキャンパスライフに憧れたんだよねー。まあ、たいして勉強してなかったし仕方ないけど」

 

彼女はそう言うと、背もたれに身体を預け、空を見上げた。
空の青さに対してなのか、太陽の光に対してなのかはわからないが、まぶしそうに、目を細める。

 

「そうなんだ・・・」

 

僕は、意図的に、愛想なく応じた。早く会話を終わらせたかった。
疲れていたのもあるが、同じベンチに座っているならまだしも、離れたベンチに座り、
会話にしては大きい声で話している状況が、恥ずかしかった。
現に、僕たちの前を行き過ぎるサラリーマンが、「この子、なんでひとりで大きな声を出してるんだろう・・・」と、奇異な目を彼女に向ける。

 

「就活はどう?」

 

僕の心中を察することなく、彼女が問いを重ねた。

 

「・・・うーん、まあ、どうだろう。あんまりかな」

 

自嘲混じりに答えると、

 

「そっかー。わたしはね、この会社で終わり」

 

彼女が淡々としたリズムで言った。

 

「そうなんだ。もう内定があるってこと?」
「ううん、違うよ」

 

彼女は首を横に振り、

 

「この会社から内定がもらえたらこの会社に行くし、もらえなくても、もう終わり!」

 

終わり!の部分を、一段と力を入れて彼女は言った。
談笑しながら歩いていた二人組のOLが、驚いて立ち止まる。

 

「内定もらえなくても終わり? なにするの? 大学院に進むとか?」

 

にやっと、唇の端をつりあげると、

 

「違うよ。アメリカに行くの!」

 

彼女が背もたれに預けていた身体を勢いよく起こした。

 

「え、アメリカ?」
「そう、U・S・A」
「なんでアメリカ?」

 

僕の問いに、

 

「なんで?なんでって、ほら、アメリカって、広いし、自由だし、なにより、空も青いじゃない」

 

誇らしげに彼女が言った。
空が青いかどうかは天候次第だと思うけど・・・。そう言いかけたのを飲み込み、
その代わりに、「そっか・・・」と、彼女には聞こえないくらいの声で、僕はつぶやいた。

 

僕の反応の薄さから何かを察したのか、それきり、彼女は黙り込んだ。
それはそれで申し訳ない気持ちになり、なにか話しかけようとしたが、これといった問いも浮かばず、あきらめた。

 

暑い。太陽が目の前のアスファルトを焦がす音が聞こえてきそうなほどに、暑い。
なんか例年より暑くないか・・・と一瞬思ったのち、あぁ、スーツを着てるからか、と思い当たり、ばかばかしくて、ははっ、とわずかに声を上げて笑ってしまった。

 

「なんかさ・・・」

 

隣から声が流れてきた。
あ、彼女に笑い声が聞かれてしまったかも、とおそるおそる横を見ると、

 

「なんかさ、こんな暑い日に、こんなスーツ着なきゃいけない生活って、よくないと思うんだよね・・・」

 

そう言いながら立ち上がり、

 

「・・・ばいばい。ありがとね」

 

照れたように控えめに僕に手を振ると、彼女はその場をあとにした。
彼女が去ったのちも、しばらくの間、僕はそのベンチに座り続けていた。

 

 

あれから十数年後の8月。やっぱり僕はベンチにいた。

会社の昼休み。近くの神社の境内にあるベンチで、缶コーヒーを傾ける。

 

大樹の下にあるおかげで、あの日のように直接陽を浴びることはないが、それでも、暑い。汗が、這うように身体をつたう。

 

シャツをつまみ、身体に風を送りつつ、今朝観たテレビを思い出す。
マディソン・スクエア・ガーデンを通り過ぎた女性。一瞬、その女性が記憶の中の彼女の姿と重なったが、テレビの中の女性は、当時の彼女くらいの年齢、つまり二十歳前後だったので、よくよく考えると、彼女本人であるはずがない。

 

・・・くだらない。
自分自身に対して、吐き捨てるように言った。

 

8月の暑さに辟易としている人たちを憐れむかのように、風が、通り抜ける。
残りのコーヒーを飲み干すと、僕は、大樹越しに空を見上げた。

 

あの日と同じように、空は、青い。

 

彼女は、どうなったのだろう。
内定が出たのか。アメリカに行ったのか。それとも、別の選択肢を選んだのか。
僕にはわからない。わからないのだけど、アメリカにいるといいな、と思った。

 

「なにより、空も青いじゃない」

 

青い空の下にいるといいな、と思った。