小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

空は、青いか。

あ・・・。
朝食のトーストをかじる手を止めた。じっとテレビを見つめる。
NYのマディソン・スクエア・ガーデンからの中継で、女性のニュースキャスターがアメリカの政治情勢について語っている。

 

語っている内容に興味ははない。興味があるのは、彼女の後ろを通り過ぎたアジア系の女性。しかしながら、あらためて画面を注視した時には、ただの通行人に過ぎないその女性はいなくなっていた。

 

まあ、そんなわけないよな・・・。
僕は再び、お腹を満たすことに集中した。

 

 

 

「ねぇ、どこの大学?」

 

十数年前の8月。型通りの濃紺のスーツ、いわゆるリクルートスーツに身を包んだ僕は、太陽の光にさらされた木製のベンチに腰をかけていた。

 

とあるIT企業の最終面接を終え、役員から矢継ぎ早に繰り出された質問に疲れ果て、駅まで向かう力もなく、英気を養うべく、ビルを出たところにあるベンチに倒れこむように身を委ねていた。

 

「どこの大学?」

 

また、声が聞こえた。
自分に向けられたものにしては声が遠く、放っておいたが、どうやら無関係ではないらしい。

 

声の方へと顔を向けると、僕と同じ並び、二メートルほど横にあるベンチに座っている女の子が、

 

「こんにちは」

 

やっと気づいてくれた、といった感じの、あきれたような、安堵したような表情を浮かべた。彼女も就職活動中のようで、僕と同様、お決まりのリクルートスーツに身を包んでいる。

 

スカートスーツなので、女の子とわかるものの、ベリーショートの髪、若さを謳歌するような陽に焼けた肌が、男にも女にも寄らない、中性的な印象を彼女に与えていた。

 

あ、どうも。
唐突に話しかられたことに少し戸惑いつつも、軽く頭を下げると、〇〇大学ですよ、と僕は応えた。

 

「えー、いいなぁ! わたし、そこ受けたんだけど落ちたんだよね。ほら、そこの大学が舞台になったドラマあるじゃない? あんなキャンパスライフに憧れたんだよねー。まあ、たいして勉強してなかったし仕方ないけど」

 

彼女はそう言うと、背もたれに身体を預け、空を見上げた。
空の青さに対してなのか、太陽の光に対してなのかはわからないが、まぶしそうに、目を細める。

 

「そうなんだ・・・」

 

僕は、意図的に、愛想なく応じた。早く会話を終わらせたかった。
疲れていたのもあるが、同じベンチに座っているならまだしも、離れたベンチに座り、
会話にしては大きい声で話している状況が、恥ずかしかった。
現に、僕たちの前を行き過ぎるサラリーマンが、「この子、なんでひとりで大きな声を出してるんだろう・・・」と、奇異な目を彼女に向ける。

 

「就活はどう?」

 

僕の心中を察することなく、彼女が問いを重ねた。

 

「・・・うーん、まあ、どうだろう。あんまりかな」

 

自嘲混じりに答えると、

 

「そっかー。わたしはね、この会社で終わり」

 

彼女が淡々としたリズムで言った。

 

「そうなんだ。もう内定があるってこと?」
「ううん、違うよ」

 

彼女は首を横に振り、

 

「この会社から内定がもらえたらこの会社に行くし、もらえなくても、もう終わり!」

 

終わり!の部分を、一段と力を入れて彼女は言った。
談笑しながら歩いていた二人組のOLが、驚いて立ち止まる。

 

「内定もらえなくても終わり? なにするの? 大学院に進むとか?」

 

にやっと、唇の端をつりあげると、

 

「違うよ。アメリカに行くの!」

 

彼女が背もたれに預けていた身体を勢いよく起こした。

 

「え、アメリカ?」
「そう、U・S・A」
「なんでアメリカ?」

 

僕の問いに、

 

「なんで?なんでって、ほら、アメリカって、広いし、自由だし、なにより、空も青いじゃない」

 

誇らしげに彼女が言った。
空が青いかどうかは天候次第だと思うけど・・・。そう言いかけたのを飲み込み、
その代わりに、「そっか・・・」と、彼女には聞こえないくらいの声で、僕はつぶやいた。

 

僕の反応の薄さから何かを察したのか、それきり、彼女は黙り込んだ。
それはそれで申し訳ない気持ちになり、なにか話しかけようとしたが、これといった問いも浮かばず、あきらめた。


暑い。太陽が目の前のアスファルトを焦がす音が聞こえてきそうなほどに、暑い。
なんか例年より暑くないか・・・と一瞬思ったのち、あぁ、スーツを着てるからか、と思い当たり、ばかばかしくて、ははっ、とわずかに声を上げて笑ってしまった。

 

「なんかさ・・・」

 

隣から声が流れてきた。
あ、彼女に笑い声が聞かれてしまったかも、とおそるおそる横を見ると、

 

「なんかさ、こんな暑い日に、こんなスーツ着なきゃいけない生活って、よくないと思うんだよね・・・」

 

そう言いながら立ち上がり、

 

「・・・ばいばい。ありがとね」

 

照れたように控えめに僕に手を振ると、彼女はその場をあとにした。
彼女が去ったのちも、しばらくの間、僕はそのベンチに座り続けていた。

 

 

 


あれから十数年後の8月。やっぱり僕はベンチにいた。

会社の昼休み。近くの神社の境内にあるベンチで、缶コーヒーを傾ける。

 

大樹の下にあるおかげで、あの日のように直接陽を浴びることはないが、それでも、暑い。汗が、這うように身体をつたう。

 

シャツをつまみ、身体に風を送りつつ、今朝観たテレビを思い出す。
マディソン・スクエア・ガーデンを通り過ぎた女性。一瞬、その女性が記憶の中の彼女の姿と重なったが、テレビの中の女性は、当時の彼女くらいの年齢、つまり二十歳前後だったので、よくよく考えると、彼女本人であるはずがない。

 

・・・くだらない。
自分自身に対して、吐き捨てるように言った。

 

8月の暑さに辟易としている人たちを憐れむかのように、風が、通り抜ける。
残りのコーヒーを飲み干すと、僕は、大樹越しに空を見上げた。

 

あの日と同じように、空は、青い。

 

 

彼女は、どうなったのだろう。
内定が出たのか。アメリカに行ったのか。それとも、別の選択肢を選んだのか。
僕にはわからない。わからないのだけど、アメリカにいるといいな、と思った。

 

「なにより、空も青いじゃない」

 

青い空の下にいるといいな、と思った。

 

 

 

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恋文横丁 ~ラブレター代筆屋の日々~Vol. 1

ヤソカルというWeb媒体にて、ラブレター代筆の仕事を通して考えたこと、体験談などを綴った「恋文横丁 ~ラブレター代筆屋の日々~」という記事を連載しています。

 

ひとりでも多くの方の目に触れてもらえればと思い、今後はこちらにも転載をしていこうと思う。

 

第一回目は、「”自分勝手”な想い」というお話。

 

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僕は、会社員として働くかたわら、平日夜や週末を利用して、個人としての活動をしている。”個人としての活動”というと、IT系のスタートアップやNPOなどを想起される人が多いかと思うが、そんなイカしたものではない。洒落たものではない。

 

では、なにか?

<ラブレターの代筆業>をしている。

それはなにか?

文字通り、依頼者からの要望を受け、依頼者に成り代わりラブレターの文面を考えるという仕事だ。

 

なぜそのような仕事をしようと思ったのかはおいおい触れるものとして、ここでは、そもそもそんなものに依頼をする人がいるのか?という問いに答えておく。

結論としては、いる。「いる!」と強く言い切れるほどの数はいないが、「まあ、ぼちぼち、いる」という程度には、いる。

 

依頼者は十代の女子高生から、七十代の男性まで。依頼内容も、告白、プロポーズ、感謝、復縁、自分自身への応援メッセージ、といったものまで様々。
つい先日は、復縁を願う二十代後半の女性から依頼があった。


別れた彼とヨリを戻したいという依頼。

 

 

 

カフェでドリップコーヒーを間に挟んで向き合いながら、
「自分から好きになって、自分で告白して、自分で嫌いになって、自分でふって、自分で後悔して、自分でヨリを戻そうとするって、すごい自分勝手ですよね、わたし」
依頼者は自嘲気味に唇の端をつりあげた。

 

確かに、理屈で考えると勝手と言えるかもしれないが、人が人を好きになること、人が人を嫌いになることは、理屈ではない感情の震えで、理性では制御しがたい力なので、そんなに自分を責めないでも。

 

そんなことを思いつつも、偉そうにそれをそのまま言葉として出すのはなんだかためらわれたので
「まあ、みんなそんなもんじゃないでしょうか・・・」と、毒にも薬にもならないような返事を僕はした。
「ちなみに、別れてからどのくらい経つんです?」
何の気なく問いかけると、目の前に置かれたコーヒーに向けていた視線をゆっくりと僕に向け、
「・・・三年です」
ためらいがちに依頼者が言った。
「三年?」
「はい、三年です」
「三年・・・」

 

三年か。
ただの三年ではない。後悔に駆られ、想い焦がれ、感情が揺れ続けた三年だ。
どのような日々だったのかは僕にはわからないが、安寧な日々でなかったことはわかる。それから一時間ほど話をし、依頼者と別れた。

 

別れ際、
「自分勝手なお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

また、“自分勝手”という言葉を使い、依頼者は深々と頭を下げた。

最後くらいなにか気の利いた言葉をかけようと僕は口を開いたが、言葉を発することはなく、行き場のない口を半笑いに変えただけで終わってしまった。


その後、ラブレターの文面を依頼者に納品し、ありがとうございます、というお礼をもらったあとは、特に連絡はない。想いが成就したのか、叶わなかったのか。それとも、ラブレターを渡すことができなかったのか。どこにたどり着いたのか、僕にはわからない。もちろん、依頼者としては想いの成就が理想の結末なわけで、役割上、僕もそれを願うのだけれど、でも、必ずしも、その結末でなくてもいいのではないか、とも思う。

 

想いが叶わなかったとしても、望む道ではないかもしれないが、次のどこかへ、次の誰かへと依頼者は前に進むことができる。

ラブレターを渡すことができなかったとしても、今までと同じ日々を過ごすことになることになるとしても、誰かが誰かに想いを寄せるという行為には、苦しさとともに、期待や希望もひそんでいる。それはそれで幸せなことだと思う。

 

 

今回の依頼に関わらず、依頼者と交わる時間は、ごく限られた時間でしかない。交差点ですれ違う人のように、別のところから来て、一瞬だけ交わり、また、別の場所へと向かう。接するのは、人生全体で見たら、ないに等しいくらいのわずかな時間。

 

でも、ゼロではない。一瞬、一時、交わる。
すれ違う刹那、目配せをして、お疲れ、と心の中で声をかけ、また離れていく。
そんな感じ。

 

そして、僕は、そんな感じが結構気に入っている。
だから、当面は、この仕事を続けていくことになるのだろうと思う。

 

「バトンを渡す」ということ。

先日、NHKで放映された「自閉症の君が教えてくれたこと」という番組を観た。

東田直樹さんという重度の自閉症を持つ作家に密着したドキュメンタリーだ。

 

通常、自閉症の方は他者に自分の感情や意見を伝えることができないが、東田さんはパソコンのキーワードのような文字盤を使用することで、自身の感情や意見を伝えることができる稀有な存在とのこと。

 

番組の序盤、東田さんが発した一言を耳にした僕は、ある日のある人のことを思い出した。

 

昔、・・・昔といっても一年前くらいの話だが、僕は個人としての活動の一環として「傾聴サービス」というものをおこなっていた。

 

これは文字通り、人の悩みに、ただただひたすらに耳を傾けるというなんとも奥ゆかしいサービスだ。

 

ある日、渋谷にある喫茶店で、四十代の女性の相談者と僕は向き合っていた。

「結婚もしてないし、子供もいなくて、何だか親や世の中に申し訳なくて・・・」

相談者がもらした。

 

相談内容は別の事柄だったのたが、会話が途切れた際、ふと、そうもらした。

 

その時の僕は「そんなの関係ないですよ」くらいの言葉しかかけられなかったが、あの時の相談者が、番組を観て、東田さんの言葉を聴いてくれていればいいな、と思った。

 

「命は大切なものだからこそ、つなぐものではなく、完結するものだと考えている」

 

その言葉を聴いてくれていればいいな、と思った。

 

僕も、そうだと思う。

僕は結婚していて、二人の子供がいるが、でも、東田さんの意見に同意する。

 

結婚したくてもできない人がいれば、そもそも結婚をしない、という選択をとる人もいる。子供が欲しくてもできない人がいれば、そもそも子供はいらない、という選択をとる人もいる。

 

「命をつなぐ」「命のリレー」といったような言葉は、少なからず、そういう人たちを責め立てる響きを持つと僕は思う。

 

結婚しなくても、子供がいなくても、人がその一生をまっとうすれば、喜びや哀しみ、感動、感銘、驚き、癒し、気づき、何らかの感情や影響を他者に及ぼすことになる。

 

つまり、自分以外の誰かに何かを渡すことになる。

 

リレーとはそういうことだと思う。

バトンを渡す相手が、必ずしも子供である必要はない。

渡すものが必ずしも命である必要はない。

 

昔に比べれば随分と緩和されてきたのだろうが、それでも、今でも、結婚や出産はするべきもの、義務、という風潮があるような気がする。

 

僕は今、37歳。まだまだ若輩者だが、それでもここまで生きてきた感想として、楽ではない。普通に生きて、普通に死ぬだけでもなかなかに大変そうだ。自分の人生を完結するだけで十分ではないだろうか。

 

そして、完結させれば、きっと、どこかの誰かに、何かが渡る。

そう、思う。

 

このブログだって、そう。

アクセス数などあってないようなものだし、毒にも薬にもならないかもしれないけれど、それでも、ルノアールの片隅で書いているこの文章が、世の中のはしっこで生きる、どこかの誰かに届き、その人にとっての喜びなり癒し、気づきになるかもしれない。なってほしい。そう思って書いている。

 

 

でも、いずれは市川海老蔵なみのアクセスになってほしいとも思う・・・。

 

そんなことを考えさせられた番組でした。

 

「過去」は変わる

あけましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いいたします。

 

ふわふわと不定期に更新している本ブログですが、更新のたびにメールで感想を寄せてくださる奇特な方がいらっしゃることもあり、今年もはりきって更新をしていきます。

 

さて、新年一発目は、以前、『「分人主義」について』というエントリーでもそのお名前を出させて頂いた、作家の平野啓一郎さんの著書を読んでの感想、というか、考えたこと、思ったこと、を記します。

 

 

先日、平野さんの『マチネの終わりに』という著書を読了した。物語の建付けとしては、いわゆる恋愛小説、婚約者のいる40歳の女性と38歳の天才ギタリストとの、単純に楽しいだけではない、深く、複雑で、一辺倒ではない、大人の恋愛小説という形だが、単なる物語というわけではない。

 

恋愛小説という形式を借りて、そこかしこに、世の中や人生についての示唆が盛り込まれている。

 

僕がつい先日に38歳になり、主人公のギタリストと同年齢ということも手伝って、物語への共感だけではなく、平野さんがそこかしこに散りばめたそれらの示唆に対しても、深く共感するところがあった。

 

特に、以下一文に対しては、共感というか、「あぁ、そうだよね」と、安堵を覚えた。

 

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

 

よく、賢しい人が、賢しい表情で、「過去と他人は変えられない。だから、今と未来を大事にしよう」だとか、「過去を受け入れて生きよう」と、賢しい声色で言うのを耳にする。

 

なるほど、理屈としては正しい気がするし、何だかかっこいい。

 

でも、諸手を挙げて肯定することのできない引っかかりが、僕の中にはあった。

 

「過去は変えることができない」と割り切れるほど、あきらめられるほど、僕は大人ではないし、「過去を受け入れて生きよう」と言えるほど、度量も大きくはない。

 

それに、何よりも、過去は過去、と割り切るほど、38年という時間、交差した人々、過ぎた景色、通り抜けた感情は、軽くはないし、薄くはない。

 

だから、過去に対しても、僕は何か意味付けがほしいと思ってきたし、今でも思っている。

 

そんな時に目にした上記の言葉。

 

「あぁ、そうだよね」と、安堵を覚えた。

 

確かに事象としての過去は変えられない。

50点だったテストが、100点になるということはない。

 

ただ、事象は同じだとしても、その捉え方や意味はいくらでも変えることができる。

文中では、

 

花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中でもう同じ蕾ではない。

 

蕾を例に、その意味を説うている。

道端で蕾を見つけたとする。それが何の花か知らないままであれば、記憶の中の蕾は「道端の蕾」でしかないが、数日後に通りかかった時に、蕾が綺麗な薔薇へとその姿を変えたのを目にしたら、そうではなくなる。記憶の中の過去に目にした蕾は、単なる「道端の蕾」ではなく、「薔薇の蕾」となる。つまり、未来が過去を変える。

 

そうだと思うし、そうだと思いたい。

 

僕は会社員として働くかたわら、個人事業主としても活動をしているけれど、その原動力は、今や未来を楽しいものにしたい、というのももちろんあるのだけれど、それよりも、過去の反省や後悔、過ち、そういったものに意味付けをしたい、変えたい、過去を変えたい。そういった気持ちが根幹としてはあるのではないかと、本書を読み進めつつ思った。

 

「蕾は蕾だよね」と、大人を気取って、賢者を気取って日々を過ごすのではなく、蕾を薔薇にしたいと思っているのだな、と、自分のことながら、他人事のように、ふと、客観的に思った。

 

人がその人生を生きていれば、忘れたい過去や、暗い過去、人には言えない過去、の1つや2つあると思う。

 

そういう時に、「過ぎたことだから・・・」と飲み込む必要はないし、「失敗してしまったから・・・」とあきらめる必要もない。ましてや、過去に引きずられ「私なんて・・・」と卑下する必要もない。

 

過去は変えられる。

 

今が、未来が、過去を変えてくれる。

 

 

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黒い点

僕の母には、変な癖があった。

悲しいことがあると、メモ用紙に、思いついたもの、目についたものを書くという癖。

 

母にそのような癖があることを知ったのは、僕が6、7歳の時だったと記憶している。

ある日、近所の子供と外で夕方まで遊んだ後、家に帰ると、母が誰かと電話をしながら涙を流していた。

 

相手が誰なのか、どのような会話をしていたのか、それはわからない。

ただ、しゃがみこんで涙を流していたことだけは鮮明に覚えている。

 

うわ。見てはいけないものを見たと思った僕は、居間へと踏み出した足を慌てて引っ込めて、そのまま隣の和室へと体の向きを変えた。

 

母の姿を視界に捉えたのは一瞬のことだったが、それでも、涙を流す姿、そして、泣きながらメモ用紙の上に鉛筆を走らせていた姿は僕の脳裏に刻まれた。

 

十分、ニ十分ほどたち、もう大丈夫かな、と思い居間へと向かうと、電話は終わっていて、母は僕の姿を見るなり「今から御飯だからね」と照れたように言い残し、台所へと姿を消した。

おそらく、僕に泣いている姿を見られたことに気付いていたのだろう。

 

何だかよくわからないけど、終わってよかった。

安堵した僕がおもむろに机の上に目をやると、いくつかの単語が記載されたメモが置いてあった。

 

あ、さっき泣きながら書いてたやつだな。

手に取ると、そこにはこう書かれていた。

 

庭。皿。椅子。慎太郎。空。

 

もう三十年近く前の記憶だが、この単語だけは今でも克明に覚えている。

 

 

この時はこのメモにどんな意味があるのか、いや、このメモに意味などないことはわからなかったのだが、その後も、同じようなことがたまに続き、何回目かで、あ、これは何の意味もないんだ。ただ単に、目についたものなんかを書いているだけなんだな、ということに気付いた。

 

我が母ながら、変な癖だな、と思った。

 

ただ、話はここで終わらない。

遺伝子とともに、その癖を、僕も踏襲した。

 

母が、悲しい時やつらい時に意味のない言葉をメモ帳に書きなぐることを知った僕は、変な癖だな、と思うと同時に、なるほど、文字を書くと気持ちが落ち着くのかな、と思った。

 

それからは、僕も悲しいことやイヤなことがあると、母を真似て、浮かんだ言葉や目についたものをノートに書くようになった。

 

えんぴつ。ノート。せんせい。ぼく。わたし。くも。たいよう。けしごむ。

 

当時、何を書いたのかはまったく覚えていないが、、まあ、こんなようなことを書いていたのだと思う。

 

そして、まだ、話はここで終わらない。

 

僕が中学生になり、小説を読み始めるようになると、今度は、単語ではなく、文中にある好きなフレーズや一文をノートに書くようになる。

 

むしゃくしゃした時や、悲しい時、悔しい時、文庫本を開き、ぱらぱらとめくり、目についた文章を書く。

 

さらに、まだ話は続く。

 

中学三年生くらいになると、今度は、短編小説をまるまるノートに書き写すということを始めるようになる。長編小説はさすがに書き写す気にならなかったが、好きな短編小説を、何日もかけ、ノートに書き写し、気持ちを落ち着かせるということをするようになる。

 

中学生くらいになると誰しもが思春期を迎え、多感になり、多かれ少なかれ鬱屈とした何かを抱えるようになると思うが、僕の場合、人よりも思春期をこじらせていたため、自分自身とまったくもって折り合いがつかず、どうにも困った日々を過ごしていた。

 

よって、毎日のように、ノートに、言葉やフレーズ、短編小説を書き写していた。

 

こんなわけのわからないことやってるの僕くらいだろうな・・・、と思っていたが、中学生のある日、自分と同じようなことをしている子に出会った。

 

中学生の時のクラスに、いじめられていたというわけではないが、顔つきや発している空気が暗いせいか、クラスの誰とも会話をせず、お弁当も一人で食べている女の子がいた。

 

ある日、友達と休憩時間に会話をしていると、

「なあ、〇〇だけどさ・・・」

とその子の名前を口にした。

「いつも休憩時間にノートになんか書いてるじゃん」

ああ、そう言われてみると、いつも何か書いてるな。窓際の席でノートに向かうその子の姿に思いを巡らせていると、

「この間さ、〇〇の横を通った時、ちょっとノートを見たらさ、勉強してるとかじゃなくて、なんかわけのわからない文字を書いてんだよー」

「わけのわからない文字?」

別の友人が問うと、

「そ、クラスの奴の名前だったり、空とか雲とか家とか・・・、気持ち悪くね?」

「うわ、なにそれ、こわっ!」

友人たちの会話をよそに、僕は、あ、同じだ、と思うと同時に、ああ、そうか。俺、気持ち悪いんだな・・・と思った。

 

その後、気持ち悪いみたいだから早く止めなきゃな、と思うものの、子供の頃からの習慣だからそう簡単には止められない。

結局、高校を卒業するくらいまで、僕のその癖は続いた。

 

大学に入り、卒業し、就職し、いつの日かそういう習慣を持っていたことは、僕の中では忘れ去られた記憶になっていたが、ある時、そのことをふいに思い出した。

 

 

今年の一月に僕が本を出版させていただくことになった時、まず思ったのは、書けるのか・・・ということ。

文字量という意味でもそうだったし、論文のようなものを書いたことはあれども、物語形式で文章を書いたことなどない。作法のようなものを何も知らない。大丈夫なのか? と。

楽しみでもありつつも、不安の方が遥かにまさる心持で、僕は書きだした。

 

結果としては、書けた。

 

内容の良し悪しは僕の判断するところではないので何とも言えないが、文字量という意味でも、本にできるくらいの作法、形式という意味でも、書ききることができた。

 

原稿を書き進めながら、何とかなりそうだぞ、という安堵感を覚えつつ、僕は、わけのわからない習慣を、他者から見たら気持ち悪いとも受け取れる習慣を続けていた僕に感謝した。

 

文章作法を学ぶためという目的ではまったくなかったが、それでも、あの頃に書き写していた小説が、僕に作法を教えてくれたのだと思ったから。

 

まさに、点と点がつながる、というやつだ。

 

僕は代筆の依頼者とは物理的な都合、時間的な都合がつく限り、直接お会いして詳細をうかがうようにしている。

 

そして、利害関係のまったくない第三者、かつ、人生においてもう二度とすれ違うことのないであろう人間という気安さからか、多くの依頼者が、本題とは関係のない話も、あけすけに色々としてくださることが多い。

 

そして思うのが、代筆の依頼者にそういう人が多いのか、世の中全体としてそういう人が多いのかはわからないが、ほとんどの人が、何かと折り合いをつけられずにいる。

 

それは、いじめられていた過去だったり、愛する人を失った喪失感を引きずる現在だったり、夢も希望も見出せない未来だったり、根暗で可愛くない自分だったり。その対象は様々なのだけれど、何か、どこか、負っている。

 

「点と点が線になる」

「人生に無駄なことなど何一つない」

 

言葉としては知っていても、それは成功者の結果論であって、そんな甘くないよね、と僕は思っていた。いや、今でも信じ切れてはいない。そんな甘くはないよね、とやはり思う。

 

でも、かつてよりは、受け入れられる。

 

過去のいじめや、喪失感、愛せない自分。

そういうものが、そういうものこそが、自分の心の中に黒い点として残るものこそが、いつか、どこかに、つながってゆく。

 

そんな甘くはないよね、と思いつつ、そういうものかもしれないな、とも今は思ったりもする。

 

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春にして君を想う。

「彼女の人生は幸せだったのかと。幸せにできていたのかと。色々と後悔が残っています・・・」

 

ラブレターの代筆をはじめてから一年ほどが経ったある春の日、依頼者がもらした言葉。奥様が若くして病気を患われ、過去を振り返り、後悔をし、感謝の気持ちをしたためたいということで、僕に相談をされてきた。

 

”彼女の人生は幸せだったのかと”

その言葉に、僕は少し違和感を覚えた。

 

僕は、40歳を前にした今日に至るまで、近い間柄の人、過去は親密だったが時が経ち疎遠になっていた人、人生で一時すれ違っただけの人、関係性はさまざまなれど、何人かの人の訃報に触れる機会があった。この歳になれば、別に特別なことではないだろう。

 

どのような間柄の人だとしても心は動くが、特に、近い人の報に触れた時、平静でいるのは難しい。僕が若かったというのもあるかもしれない。

 

まさに、冒頭の依頼者のように、幸せだったのか? 短すぎないか? もっと優しくできなかったのか? 僕の言動で何かが変えられたのではないか? と、自問自答する。

 

そんな状態が短くない期間続いたが、ある日、ふと思った。

特別なきっかけがあったわけではないが、ふと思った。

 

幸せだったのか? という問いは、あまりにも不遜な問いなのではないか、と。

 

幸せだったのか? と問うということは、言い換えると、幸せな人生ではなかったのではないか、と思っているということだ。

 

果たして本当にそうなのか?

 

僕と接した時間などたかが知れている。

人生全体から見れば一瞬だ。

それなのに、なぜ、幸せではなかった、などと言えるのか。

 

相手の幼少時代を僕は知らない。

子供時代を僕は知らない。

大人になってからの日々もほとんど知らない。

 

朝、目覚めた時に何を想い、日中、街中を歩きながら何を考え、夜眠る時にどんなことに思いを馳せながら目を瞑るのか。

僕は知らない。つまり、ほとんど、何も知らない。

 

この世に生を受け、両親の眼差しに見守られながら育ち、気の合う友達に囲まれ、時に笑い、時に涙し、時に恋もしたはず。

恋愛映画に胸を弾ませ、流行の服に嬉々として腕を通し、おいしい食事に笑みをこぼし、覚えたてのお酒にうっすらと酔い、昼間の光を含んだ温かい布団で静かに眠る。

 

僕の知らない、幸せな時代、満たされた時が必ずあったはずだ。

 

それなのに、すべてを共にしてきたわけではないのに、なぜ、「幸せだったのか?」などと、上から問うことができるのか。

 

そう、ある日、ふと思った。

 

それからは、以前よりは随分と気が楽になった。

喪失感や寂寞の思いはあれども、幸せだったのか? という問いは消えた。

 

なぜなら、幸せだった、と思えるようになったから。

 

一時でも満たされた時間があったのであれば、その人の人生は、最高とまでは言えないかもしれないが、そう悪いものではなかった、と思えるようになったから。

 

それは勝手な思い込みかもしれない。

でも、きっと、そういうものだと、今は思っている。

 

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「分人主義」について(わりと真面目に。)

さて、今日は「分人主義」について記そうと思います。

 

話が少しそれますが(冒頭からそれてスイマセン)、ラブレター代筆の依頼者の方がよく漏らされる意見として、

 

「僕なんかがあの人に気持ちを伝えていいものか・・・」

「私などが想いを伝える権利などあるのでしょうか・・・」

 

といった形で、自分はそんな人間ではない、という自己否定の声がよく聞かれます。

 

そんな方に、この「分人主義」というものは少なからず救いになるのではないかと思い、僕自身がこの考え方が好きなこともあり、ご紹介。

 

まず、「分人主義」ってなに?ということなのですが、「分人主義」というのは作家の平野啓一郎氏が提唱する概念で、簡単にいうと、「”本当の自分”って別に一つではないよね」という考え方です。

 

これだとさすがに簡単すぎますよね。すいません。もう少し詳しく説明すると、人は多かれ少なかれ、接する人によって見せる顔や言動が異なります。

職場で見せる顔、恋人に見せる顔、友達に見せる顔、色々な側面があるわけです。

 

すべての人に対して同じ顔を見せる人は稀で、大概の人は、相手によって異なる。そしてさらに、全部が全部お気に入りの自分ではなく、あの人に対してはいい感じなんだけど、あの人に対しては何だか悪い感じになっちゃうな、、となります。

 

この差が激しいと、他者からは「表裏がある」と揶揄され、自分自身では「本当の自分ってどれだろう・・・」と思い悩むわけです。

 

ここで「分人主義」の登場です。

 

「本当の自分」は一つではなく、それぞれの人に対しての自分、職場の自分、恋人に対しての自分、友達に対しての自分、いい自分、悪い自分、全部が「本当の自分」とする考え方、それが「分人主義」です。

 

わかりやすく書いたつもりですが、全然わかんねえよ、という方は以下サイトをご覧ください。。

 

僕なぞは対人というものに対してあまり執着がなく(執着がなく、というと何だかかっこいいですが、正確には無頓着)、人間関係でそこまで悩むこともないですが、それでも、あの人に対しての自分はよくないな、変えなきゃな、と一応悩むこともありました。

 

でも、平野さんの著書で「分人主義」という考え方に触れ、そういう悩みはなくなりました。

 

もちろん、あの人に対しての自分はよくないな、というのはあるのですが、それを改善しよう、何とかしよう、という気負いがなくなったという意味です。

 

「あっちの自分はよくないけど、こっちの自分は好きだから、こっちの関係性をより深めよう」

「駄目な自分になっちゃう人はあきらめて、好きな自分を出せる人を増やせばいいや」と思えるようになりました。

 

「本当の自分」が一人だと考えてしまうと、一人でも関係性がよくない人がいるとどうにかしなきゃ、と思ってしまいますが、「どれもこれも本当の自分」と考えると、関係性がうまくいかない自分はあきらめて、いい自分を増やそう、と割り切ることができるわけです。

 

(ここまで書いたところで、現状、「いいと思える自分」は1、2人くらいで、あとは全部「よくないと思う自分」だと気付き、愕然とする)

 

話を冒頭に戻すと、だから、

 

「僕なんかがあの人に気持ちを伝えていいものか・・・」

「私などが想いを伝える権利などあるのでしょうか・・・」

 

と自己否定をする人に僕が伝えたいのは、過去の自分や他者からの見られ方に捉われて「僕なんか」「私なんか」と考えてしまうと思うのですが、過去や他者が評価する「自分」と、自分の過去や容姿、性格に自信がないながらも、想いを寄せる人に何とか気持ちを伝えたいと願い、でも、自分ではどうしていいかわからず、藁をもつかむ気持ちでラブレター代筆屋なる得体の知れない人間に、勇気を持って、意思を持って、相談をし、何とか、自身を、今を、未来を変えようとする「自分」は別物である、と考えること。

 

そうすれば、「自分なんかが・・・」と躊躇することもなくなるでしょうし、ラブレター代筆など頼む必要もなくなるはずです。

 

それでは。おやすみなさい。