小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

志望動機を問われた際のNGワード

「志望動機を教えてください」

 

定番中の定番の質問。多くの面接官は、まずはじめに、この質問を投げかけるのではないだろうか? なぜこの質問を最初にするのか。それは、この質問に対する返答で、その後の受け答えの質、就職活動生としての基礎体力が大体わかるから。お寿司屋において、玉子でその店の腕前がわかるというけれど、それと同じようなもの。

 

誤解なきように伝えておくと、その学生さんの本質がわかる、と言っているわけではない。あくまでも受け答えの質、つまり、どれだけしっかりと物事を考えているか、もしくは、考えてきたか。面接スキルの高さ、と言い換えていいかもしれない。

 

そして、この問いに対して、どういう答え方をするのが好ましいか?
まず、最悪なのは、企業理念を持ち出すこと。

 

「御社の○○○○という企業理念に共感し、そのような理念のもと、私も働きたいと思い、志望いたしました」のようなものは、最低だ。

 

理念の重要性を否定するわけではない。理念は、確かに必要だ。ただ、理念に共感しているか否かは重要ではないと思う。なぜなら、理念というものは、よほどの悪人や奇人でない限りは共感できるようになっている。例として、いくつかの企業の理念を列挙する。

 

●情報革命で人々を幸せに(ソフトバンク
●住まいの豊かさを世界の人々に提供する。(ニトリ
●21世紀を代表する会社を創る(サイバーエージェント
●地球上で最もお客様を大切にする企業であること(アマゾンジャパン)
●焼き鳥で世の中を明るくする(鳥貴族)
●優れた医薬品の創出を通じて人々の健康と医療の未来に貢献する(武田薬品工業

 

誰がこれらの理念を否定するだろうか?
人々なんか不幸になれ! お客様など糞くらえ! 焼き鳥で世の中を暗黒にしてやるー、という考えの人など、ほぼ皆無なのではないだろうか。

 

つまり、企業理念というものは必然的に万人に共感されるようにできているわけで、そこに対して「共感します!」と言っても、他の学生さんと比して差別化にはなり得ない。


多くの企業が求人要件として「弊社の理念に共感していただける方」と謳っているが、
その実、志望動機を問われた際、「御社の理念に深く共感をしました」と言っても、面接官には響かない。

 

そのことは、肝に銘じておこう。

 

 

 

 

 

就活本格化に向けて、しておくべきこと。

12月。そろそろ、就職活動を控えた学生さんが本格的に動きはじめる時期。
本やネット、もしくは既に就職活動を終えた先輩などから就活に向けたアドバイスを見聞きしたりしているだろうが、それでも、「何をしたらいいんだろう?」「どうやって動けばいいんだろう?」という疑問、不安の類は解消されないのではないだろうか。

 

今日は、そんな学生さんに向けて、そろそろこういうことをしといた方がいいと思うよ、という話をしたいと思う。

 

細かく挙げれば色々とあるのだけれど、就活で重要なものを大別すると、「インプット」と「アウトプット」の2つ。


インプット、というのは、経験から何を得て、何を感じたか、という意味。

会社員としての僕は、新卒における面接対応などもするが、「部活動で主将を務めていました!」「ボランティア活動をしていました!」「学生団体で代表を務めていました!」と、声高に、誇らしげに発信をする学生さんがよくいる。

 

(真偽はさておき)もちろん、それらの活動や役割を否定するものではないし、能動的にそういったことをする姿勢は評価するが、ただ、それだけでは、本人たちが期待するほどのプラス評価にはならない。へー、積極的なんだね、という感想を抱く程度。

 

大事なのは、どれだけ大きなことをしたか、重要な役割を担ったか、ではなく、何を感じたか、何を獲得したか、だ。主将や代表である必要はないし、ボランティア活動など、他者とは違った経験をしている必要もない。日常の出来事やありふれた役割の中にも、ドラマはあるし、緩急がある。 その中から、どういうことを感じ取ったかという感受性や、物事の受け止め方、考え方、そういったものを重視する。

 

だから、これから就活が本格化するに向けて、あわててとってつけたように新しいことをする必要はない。今までの自分の人生、体験を振り返り、どういうことがあって、どういうことを感じ、どのように自分が変化してきたか。そのことを、腰をすえて、じっくりと考えてみることをオススメする。

 

そして、アウトプット。
これは文字通り、自分の考えていることを伝える力。どれだけインプットが充実していても、それを企業に、面接官に正確に伝えられなくては意味がない。アウトプットを磨くためには、月並みなアドバイスだが、アウトプットをする練習をするしかない。

 

この時期になると、就職課が面接対策を実施してくれたりすると思うが、「けっ、そんなん恥ずかしくてやってられるか。俺は本番に強いから、練習なんかしなくてもなんとかなるよ」と、かつての僕のように強がらず、いきがらず、そういう機会があれば、どんどんと参加し、恥をかき、冷や汗を流そう。就職課じゃなくても、友達でも彼女でも親でも、誰でもいい。とにかく他者に聞かせ、フィードバックを受けること。それに尽きる。

 

就活は、これをしておけば絶対大丈夫!という秘訣もない代わりに、これをしなくちゃダメ!という特別な何かを要するものでもない。

 

上記のような当たり前のことを、当たり前にやっておく。つまらない真理だけど、そういうものだと思う。

 

 

 

歳の差なんて、ラララ。

ラブレター代筆に依頼をしてくる人は、大別すると2つのタイプにわけることができる。1つは、文章を考えることが不得手な人。もう1つは、文章を考える云々の前に、そもそも、想いを伝えることに対して躊躇をしている人。意外に思われるかもしれないが、後者の方が、割合としては随分と多い。

 

「話したこともないような相手に、告白をしていいものか・・・」
「一度別れた相手に、手紙を書くのは迷惑じゃないのか・・・」
「告白して断られたらどうしよう・・・」

 

そして、よくあるのが、
「こんなに年齢が離れている相手に告白していいのか・・・」
というもの。

 

僕個人は過去に付き合った相手で、最も歳が離れていたのは5歳。だから、偉そうに論じることはできないのだけれど、それでも、どうしてそんなに気に病むのだろうか、と不思議に思う。そして、その疑問をそのまま投げかけると、

 

「いや、なんていうんでしょう、なんか、ね・・・」

 

と、大概の人が、言葉を濁す。
明言はしないものの、歳の差を気にする人は、多くの場合、周りの声を気にしてのことなのだと思う。

 

「いい年のおっさんがハタチそこそこの嫁さんもらうって、ロリコンかよ!」
「あんなに年上の親父と付き合うなんて援交じゃないの!」

 

など、そんな声を気にしてのことではないだろうか。

 

一言。案ずるに及ばない。

 

歳の差についてどうこう言う人は、嫉妬に過ぎない。本心のところは、

 

「あんなに若い嫁さんもらって羨ましいな、ちくしょう!」
「ちょいワルな感じで素敵!くやしい~」

 

と思っているだけだ。


実際、過去に僕が出席した結婚式で、新郎が40歳、新婦が23歳というカップルがいた。
そして、なごやかな式の最中、僕は終始「ちくしょう!」と嫉妬の炎に身を包んでいたことがある。だから、間違いない。

 

余談はさておき、要は、周りの声は気にすることなどない、ということだ。


不倫のように誰かに迷惑をかけたりしているわけでもない。堂々と告白をすればいい。大手を振って付き合えばいい。誇らしくプロポーズをすればいい。それだけのことだ。

 

それに、年の差カップルというのは、お互いの容姿に惹かれて、というよりは、精神性による結びつきが強い印象を受ける。容姿は時の流れとともに劣化をするが、精神は劣化をするどころか深みを増していくので、関係が長続きするようにも思う。

 


ただ、僕には娘がいるが、ある日娘が彼氏を連れてきて、彼氏の年齢が自分と同程度、もしくは年上だったとしたら、正直なところ、うっ、とは思う・・・。それは、ご容赦いただきたい。

 

 

「海を見る自由」

僕は立教高校の出身なのだが、立教高校は、2011年の東日本大震災の発生に伴い、卒業式の中止を決定した。そして、タイトルの「海を見る自由」とは、立教高校の校長が卒業生に対して送ったメッセージ内の言葉だ。

 

素晴らしいメッセージなので、是非ともご一読を。

 

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校


そして、なぜだかはわからないが、今日、発熱のために訪れた病院の待合室で、ふと、考えた。学校や親からの管理を離れ、ふらりと海を見に行けること、すなわち、「海を見る自由」が大学生活という時間の意味合いなのであれば、社会人なり社会人生活の意味はなんであろうか、と。

 

ぼんやりとした頭で考えてみた。

 

確かに、”自由”という言葉は、社会人生活にはそぐわない気がする。時間的な制約は大学生とは比ぶべくもない。昼休みに、ふらりと出かけ、そのまま海に行こうものなら、即クビとまではならないまでも、評価は下がるであろうし、「おいおい、あいつ、大丈夫か?」と社内で”おかしなヤツ”という評判が立つことだろう。

 

では、社会人とは?

 

考えて、たどり着いた結論は、大学生に「海を見る自由」があるのであれば、社会人には「海を選ぶ自由」と「海の価値を知る不自由さ」があるのではないか、ということ。

 

どういうことか?

 

「海を選ぶ自由」とは、すなわち、どこの海にでも行くことができる、”お金”ということだ。大学生は、海に行く自由がある。だが、行くことができる海は、金銭的な都合から、限られたものであると思う。

 

東京の大学生であれば、「ちょっと海行こうか?」というノリで行けるのは、千葉か静岡あたりの海だろう。だが、社会人であれば、もう少し遠くへ行ける。沖縄の海にも、海外の海にだって行くことができる。

 

そしてもう一つ、「海の価値を知る不自由さ」。こちらが特に重要だと思う。かつて大学生だったことがある人は、思い浮かべてみてほしい。当時、「ああ、自分って自由だなー」と思っていただろうか。答えは否だろう。少なくとも、僕は、そうは思っていなかった。時間があることが、管理されていないことが当たり前だったから、自分が自由であるとは思っていなかった。ただ単に、「暇だなー、なんか楽しいことないかなぁ」と時間を持て余していた。

 

「海を見る自由」もそれと同じ。自由な時は、自由の価値を、自分が自由であることを、自覚できない。失って、制約されて、はじめて気づくことができる。


だから、もし、大学生に「どうだ!俺たちはいつでも海を見ることができるんだぞ」と言われたら、僕はこう返したい。

 

「それがどうした。俺たちは、海の美しさを、その価値を、知っているぞ」と。

 

 

 

 

 

 

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「一目惚れ」こそが至高の愛?

「なるほど、一目惚れというやつですね」
僕の言葉に、依頼者は照れくさそうな表情でかすかに頷いた。

 

コンビニで働く女性に告白をしたい。
だけれど、女性に対して奥手で、告白をしたことなどなく、付き合ったこともない。
ラブレターなら渡すだけだからできる気がする。でも、書けない。書いてほしい。

 

20代前半の男子大学生からの依頼。

 

今でこそ、一目惚れの相手に向けたラブレターは、代筆屋という立場で何通か書いた実績があるが、当時はそうではなかった。そのような依頼は受けたことがなかった。はじめての依頼。

 

一目惚れって本当にあるんだな・・・。

 

間を埋めるようにアイスコーヒーを混ぜる依頼者の手元を見つめながら、僕は思った。
名前も、素性も、性格も、趣味も、口癖も、何もわからない人を好きになる、という感覚が僕にはわからなかったし、周りでも一目惚れをした、という話を聞いたことがない。

 

一目惚れをするってどんな感覚でしょう?
個人的な問いとして訊いてみたかったが、話がずれてしまいそうなので、その問いは飲み込み、詳細の確認へと移った。

 

「お相手の方のお名前は?」
「〇〇さんです」
「下のお名前はわかります?」
「さあ・・・わからないです」
「おいくつかはわかりますか?」
「・・・さあ、ちょっとわからないです」

 

依頼者へ質問をいくつか投げかけたのち、大きな問題があることに気づいた。

 

「〇〇さんはどんな性格ですか?」
「どうなんでしょうね・・・」
「趣味とかは・・・わからないですよね」
「・・・はい」
「・・・」

 

一目惚れだけに、情報が何もないのだ。
かろうじで、ネームプレートから名字だけは知っていた。

 

通常であれば、お相手の方の性格や趣味嗜好をうかがい、タイプに合わせて文面や表現を考えるが、今回はそれができない。お相手の方のことを把握することを早々にあきらめた僕は、質問の対象を依頼者の方のみに絞ることにした。

 

一時間ほど話をし、会話を区切る意味合いで、「想いが成就するよう頑張ります」と依頼者に声をかけた。

 

依頼者は口数が少なく、照れ屋な印象であったため、僕の言葉に対して「お願いします」くらいの、短く当たり障りのない返答を予想していた。だから、

 

「はい。でも、なんというか・・・成就しなくてもいいです。想いを伝えられるだけでも、僕にとっては大きなことですから」

 

という依頼者の言葉に、意思を感じさせる強い言葉に、僕は少し驚いた。

数日後に手紙を納品して以来、依頼者からは特に連絡はない。

 

 

前述したように、これ以来、一目惚れした相手に送るためのラブレターの依頼を何件か受けた。そして、それらの依頼に共通して言えることがある。
それは、どの依頼者も、総じて口数が少なく、照れ屋で、純粋な印象を僕に与える、ということだ。

 

このことから、思ったことがある。

 

僕も含めて、大抵のひとは、相手の名前を知り、素性を知り、性格を知った上で、ひとを好きになる。それはつまり、言い換えると、情報を得てから好きになるということ。

 

このひとと付き合ったら楽しいかな?長続きするかな?結婚までたどり着くかな?
情報を得た上で、判断し、決断する。
表現を選ばずに言うと、そこには計算があり、打算がある。

 

でも、一目惚れは違う。
何も情報がない中で、真っ白な頭で、真っすぐにひとを好きになる。好きになれるということ。

 

そう考えると、一目惚れできるというのは、とても素晴らしいことだと思う。
計算と打算で日々を過ごしている僕には無縁と言えるだろう。

 

 

話を前述の依頼者に戻す。
彼とのやり取りから、二年以上が経過している。当然、連絡は何もない。

 

彼と話しをしたカフェで、彼と同じような年代の男の子を見るたびに、どうなったかな?とふと思うことがある。

 

想いが成就したかどうかはわからない。
でも、僕には一つの確信がある。

 

「・・・成就しなくてもいいです。想いを伝えられるだけでも、僕にとっては大きなことですから」

 

彼は、間違いなくラブレターを渡したはずだ、と。
想いを伝えたはずだ、と。

 

 

 

「いいひと」はプレゼンが苦手?

ラブレター代筆が専門のように思われているが、それだけではなく、プレゼンテーションの指導も実はおこなっている。

 

おかげさまで、プレゼンテーションに関しても、ぱらぱらと依頼をいただくことがあるが、どの依頼者にも共通して言えることがある。それは、どの依頼者も「いいひと」であること。総じて、物腰がやわらかく、表情穏やかで、発する言葉が丁寧なのだ。

 

「なんか、人前で話そうとすると緊張しちゃって・・・」
「強い言葉で言い切るのが苦手でして・・・」
「大きい声が出せないんです・・・」

 

それらの依頼者とお会いし、こういった発言を耳にするにつれ、やはりプレゼンはメンタルが成否を決めるんだな、とつくづく思う。

 

論理性がどうだとか、強弱がどうだとか、ストーリーがどうだとか、身振り手振りがどうだとか、プレゼンの本にはそんなことが書いてあるし、巷のプレゼンセミナーではそんなことを教えているようだし、僕自身のそんなことを言ったりするのだけれど、9割がたは心の問題だと、思う。

 

考えてみてほしい。大勢の前でいけしゃあしゃあと、自社の製品を売りつけるべく、もしくは、自分の考えを押し付けるべく、したり顔で、大きな声を出して、ジョブズに自身を投影しながら、うっとりと身振り手振りを交えつつ、しゃべるのだ。普通の神経ではできない。そう、「いいひと」では到底務まらないのだ。そこに、他者への配慮や、謙遜、自身への正当なる嫌悪感などは不要。あってはならない。

 

だから、正直なところ、プレゼンテーション指導は、そろそろ止めようかな、と思っている。「人前で話すことが苦手なんです・・・」と慎ましやかにつぶやく人に対して、ああしろ、こうしろ、というのは、なんだか気が進まない。その人の良さを無理矢理に矯正しているような心持になる。

 

とはいえ、それじゃ困るんだ!評価に影響するんだ!という方もいると思うので、参考までに、僕が実践しているメンタル面での対処法を、最後に記そうと思う。

 

●自信を持つ
自信を持て!といっても持てるものではないと思うが、自信を持つことは、とても大事。別に、自信を持つ対象が自信のプレゼン力や容姿、立ち居振る舞いなどである必要はない。運動神経でもいいし、料理がうまいことでもいい。アイドルや鉄道に対する知識が深いことでもいい。なんでもいい。とにかく、ひとつ、自分の自信の源となるものを見つけること。周りの人から疎まれていたとしても、親だけでも自分のことを愛してくれていれば生きていけるように、なにか、自信を持てるものがあれば、堂々と立てるはずだ。

 

●緊張は大したことではない、ことを知る
緊張で声が震えてしまう、と弱音を吐く人がいるが、周りからすると、どうでもいい話。緊張してるんだな、と思われるだけで、マイナスの評価にはならない。むしろ、真剣に物事に対峙していればおのずと緊張するわけで、緊張しない方がどうかしている。

 

●緊張と息切れをごちゃ混ぜにする
たとえば、マラソン選手で、走っている最中に、「うわぁ、すっごいたくさんの人が私のこと見てるー、緊張するぅ」という選手などいるだろうか。いない。疲労と息切れで、それどころではない。このことはプレゼンにも生かせると思う。実際に過去、僕がやっていのだが、プレゼンをする前に、トイレかどこかで1分間、その場で駆け足をしてみてほしい。心臓がばくばくし、息切れがすると、緊張など吹き飛ぶ。疲労による心臓音なのか緊張によるそれなのか、わけがわからなくなる。


人によって緊張のほぐし方や、心の調整の仕方は異なると思うが、僕は、こんなことを考えたり、実践したりしている。色々と試しながら、自分なりの調整法を見つけることをオススメする。


最後に。繰り返しになるけれど、別に、プレゼンが上手にできなくたって気にする必要はない。流暢に得意げに話す人よりも、声を震わせながら、訥々と話す人の方が、人間としては随分と上等だと、僕は、思っている。

 

 

 

 

君の仕事の名は。

先日、とある取材を受けていて、「ラブレターを代筆するご自身の仕事に名前をつけるとしたら何てつけますか?」と訊かれた。名前?うーん。面白い質問だと思った。その仕事の本質や、僕がその仕事のどこに価値を、重きを置いているかがわかる。

 

「ふふ、それは面白いですね。ちょっと考えていいですか?」

 

大物気取りで、余裕気取りで、視線を宙に浮かせながら考える。

 

”ラブレター代筆屋”とか”代筆屋”と言われることが多いが、正直なところ、ピンと来ない。
”代”という表現が、ちょっと、違う。

 

「ラブレターの代筆をしています」というと、「えっ?代筆って、宿題を代わりにやったり、レポートを代わりに書いたり、あんな感じですか?」と言われることがある。

 

代わりにやる、という意味ではそうかもしれないが、ちょっと、いや、大きく異なる、と僕は思っている。宿題なりレポートの代行はまったくのゼロから代わりにおこなうものだが、代筆の場合は、そうではない。

 

依頼者の中に、書くべき想いや考えは、既にある。僕は、既にあるものを、引き出し、導き、形にするだけ。無から有をつくりだしているのではなく、有を可視化しているだけ。

 

だから、代筆の仕事に必要なのは、「書く力」ではなく、「聞く力」だと思う。とは云え、たいしたことはしていない。僕に依頼をしてくる方は、大抵の場合、近い友人には言えないような複雑な事情を抱えている方が多いので、こちらから聞き出さなくても、次から次へと言葉が溢れ出て来るから。

 


「どうでしょう?」

 

あーでもない、こーでもないと考え込む僕に、インタビュアーが再び水を向ける。

 

「あっ、はい。名前ですよね?面白いですね・・・」

 

実際はそろそろ尖った回答を返さなくちゃ、とあせっているのだが、表向きは冷静さを装いつつ、腕組みをする。

 

”代”という言葉を使わないとすると、なんだろう。恋文屋?雰囲気は悪くないけれど、”恋文”という響きがちょっとかわいすぎる。多くの依頼内容は切実なものなので、語感と実態に乖離がある。

 

メッセンジャー”はどうだろう?お、いいな、悪くない。メッセージををつくりだすのではなく、右から左へ運ぶ役割。感覚的には近い。これだ。いける。いや、待てよ。さんざん考えて、”メッセンジャー”はちょっと弱くないか?じっくりと時間を費やして、横文字ではがっかりされるんじゃないのか?

 

逡巡する僕に、

 

「今までで記憶に残っている依頼、ベスト4を教えていただけますか?」

 

何事もなかったかのように、インタビュアーは、次の質問を投げかけてきた。

 

 

 


僕は、依頼を受け、ラブレターの文面を代わりに考える仕事をしている。
この仕事に、名前は、まだない。

 

 

 

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