小林慎太郎のブログ

ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供するデンシンワークス(dsworks.jp)代表、小林慎太郎のブログ

君の仕事の名は。

先日、とある取材を受けていて、「ラブレターを代筆するご自身の仕事に名前をつけるとしたら何てつけますか?」と訊かれた。名前?うーん。面白い質問だと思った。その仕事の本質や、僕がその仕事のどこに価値を、重きを置いているかがわかる。

 

「ふふ、それは面白いですね。ちょっと考えていいですか?」

 

大物気取りで、余裕気取りで、視線を宙に浮かせながら考える。

 

”ラブレター代筆屋”とか”代筆屋”と言われることが多いが、正直なところ、ピンと来ない。
”代”という表現が、ちょっと、違う。

 

「ラブレターの代筆をしています」というと、「えっ?代筆って、宿題を代わりにやったり、レポートを代わりに書いたり、あんな感じですか?」と言われることがある。

 

代わりにやる、という意味ではそうかもしれないが、ちょっと、いや、大きく異なる、と僕は思っている。宿題なりレポートの代行はまったくのゼロから代わりにおこなうものだが、代筆の場合は、そうではない。

 

依頼者の中に、書くべき想いや考えは、既にある。僕は、既にあるものを、引き出し、導き、形にするだけ。無から有をつくりだしているのではなく、有を可視化しているだけ。

 

だから、代筆の仕事に必要なのは、「書く力」ではなく、「聞く力」だと思う。とは云え、たいしたことはしていない。僕に依頼をしてくる方は、大抵の場合、近い友人には言えないような複雑な事情を抱えている方が多いので、こちらから聞き出さなくても、次から次へと言葉が溢れ出て来るから。

 


「どうでしょう?」

 

あーでもない、こーでもないと考え込む僕に、インタビュアーが再び水を向ける。

 

「あっ、はい。名前ですよね?面白いですね・・・」

 

実際はそろそろ尖った回答を返さなくちゃ、とあせっているのだが、表向きは冷静さを装いつつ、腕組みをする。

 

”代”という言葉を使わないとすると、なんだろう。恋文屋?雰囲気は悪くないけれど、”恋文”という響きがちょっとかわいすぎる。多くの依頼内容は切実なものなので、語感と実態に乖離がある。

 

メッセンジャー”はどうだろう?お、いいな、悪くない。メッセージををつくりだすのではなく、右から左へ運ぶ役割。感覚的には近い。これだ。いける。いや、待てよ。さんざん考えて、”メッセンジャー”はちょっと弱くないか?じっくりと時間を費やして、横文字ではがっかりされるんじゃないのか?

 

逡巡する僕に、

 

「今までで記憶に残っている依頼、ベスト4を教えていただけますか?」

 

何事もなかったかのように、インタビュアーは、次の質問を投げかけてきた。

 

 

 


僕は、依頼を受け、ラブレターの文面を代わりに考える仕事をしている。
この仕事に、名前は、まだない。

 

 

 

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『We Love Television?』

電波少年』のT部長でお馴染み(最近の人は馴染みないのかな)日本テレビ土屋さんが監督した映画『We Love Television?』。欽ちゃんこと萩本欽一に密着したドキュメンタリー映画だ。

 

平日夜、渋谷でこの映画をひとり鑑賞し、エンドロールが流れ終わった後、思ったことは、ありがたいな、ということ。

 

ありがたい?の理由はのちに触れることとして、この作品は、主役である欽ちゃんもさることながら、土屋監督をはじめ、そこに集う、まさに”集う”という表現が適切なのだけれど、それらのテレビを愛する人々の姿も印象的に映し出されている。


電波少年の若手芸人に対する奇襲さながら、夜中、「欽ちゃん、また視聴率30%番組をやりましょう!」と欽ちゃんの自宅に夜駆けするところから本作ははじまるのだが、きっと、突撃をした土屋監督も、本気の本気の本気で30%を獲る!とは思っておらず(思われていたらすいません・・・)、では、何に突き動かされているかというと、自分が愛したテレビ、というか、テレビを愛した自分、に対しての郷愁、意地、約束。そういったものではないかな、と思った。

 

テレビの黄金期を欽ちゃん走りで駆け抜け、視聴率100%男、と謳われた欽ちゃんのもとに、土屋監督をはじめ、放送作家高須光聖氏などが集い、視聴率30%とろうぜ!と息巻く様は、未来志向でありつつも、どこか過去を懐かしむような雰囲気も感じ取れた。

 

サラリーマンとなり、結婚し、家庭を持った大人たちが、小学校の頃にグラウンドに埋めたタイムカプセルを掘り返そうと真夜中にワーワー騒いでいる、そんな感じ。

 

ただ、それは、決して後ろ向きではない。世間ではテレビはオワコンだとかつまんなくなったとか言われているけれど、そうなじゃないよな?俺らが愛したテレビは、夢中になったテレビは、今でも最高だよな?その確認作業、前に進むための確認作業、そんな気がした。

 


話を、少し戻す。僕が、ありがたいな、と思った理由。僕はテレビ業界になんら関係のない人間だが、それでも、人一倍、テレビに対して特別な感情を持っている。

 

僕の父は、土屋監督と同じく、日本テレビでかつて働いていた。新卒から定年退職までを、日本テレビに、テレビに、捧げた。

 

業界研究なのか、単にテレビが好きだったせいなのかはわからないが、家にいる時は、いつもテレビを観ていた。テレビを観ている以外の時間は、本を読んでいた。本も、テレビについて書かれたものや、メディアについて書かれたものをよく読んでいた。

 

寡黙な人なので、口に出しては言わなかったが、ほんとにテレビが好きなのだな、と思ったし、テレビの世界で働く父は、子供の僕にとって、誇りだった。

 

だから、ここ数年、「テレビは終わった」だの「オワコン」だのという言葉を聞くたびに、僕は、いらついた。父を否定されているようで、いらついた。今でも、腹が立つ。その感情は多分に私的なもので、冷静さや、客観性がないことはわかっている。ただ、腹が立つ。

 

テレビは今だって面白い。最高だ。ひとりの男が人生を捧げたものを、「オワコン」などという情緒のない言葉でまとめるな、と思う。


だから、テレビを心から愛する人たちがつくったこの映画を観て、ありがとう、と思ったのだ。

 

 

先ほど、「欽ちゃん、また視聴率30%番組をやりましょう!」の言葉は、言った土屋監督自身も本気ではなかったと思う、と書いた。土屋監督だけではなく、引き受けた欽ちゃんも真正面からは受け止めていないものだと思った。20%だってそうそう出ない今の時代に、30%を本気で志すなんて馬鹿げている。

 

ただ、最後の場面、土屋監督が番組の結果を伝えた後、一瞬だけど、本気で落胆をし、戸惑いを見せた欽ちゃんの表情を目にし、あっ、この人本気だったんだ・・・と驚いた。

 

超、かっこいい、と思った。
どうだ、テレビには、まだまだかっこいい人がいるんだ、と誇らしく思った。

 

 

 

 

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一番臆病で、一番勇敢な人たち。『72時間ホンネテレビ』を観て。

先日AbemaTVにて放映された、稲垣吾郎草なぎ剛香取慎吾の元SMAP3名による『72時間ホンネテレビ』。放映前、放映中、そして放映後、とずっと話題になっているが、例にもれず、僕も、観た。といっても、すべてあますところなく観たわけではなく、累計して15時間くらいのものだろうか。全体の20%くらいだが、それでも十分に感じるところがあった。

 

 

『何かを始めるときの自分が、一番臆病で、そして一番勇敢だ』

 

吉田修一の『Water』という小説に出てくる一節。僕は、この言葉が好きだ。そして、AbemaTVを見ながら、頭の中でこの言葉を反芻していた。まさに、3人は、少し不安げで、それでいて勇敢で、誇らしげで、さびしげで、でも、楽しそうで、嬉しそうで、とにかく、かっこよかった。

 

新入生でも新社会人でも新婚でも何でもいいのだが、何かを始めようとする人、新しい人のまとう空気感は、見ているだけで気持ちが高揚する。自信満々でもダメ。臆病なだけでもダメ。いくつかの感情が織り交ざるからこそ、あの空気感、色気のようなものは出るのだと思う。

 

ただ、もう一方で、少し暗澹たる気持ちになった。別に、キムタクと中居君がいないから、とか、SMAPが解散してしまった現実を直視せざるを得ないから、とか、そういうことではない。自分を省みて、焦りを覚えた、という意味だ。僕は、何かを始めようとする人ではないし、新しい人、でもないという事実を認識させられたからだ。

 

38歳。それなりに社会人生活も経験し、会社の中でもそれなりの役職にある。会社の中では社歴も長い方だし、歳も上の方だろう。社会人としての経験が長い分、知識が、とか、経験が、とか自分をごまかしていたが、72時間ホンネテレビでの3人を見て、否が応にも対峙せざるを得なくなった。新しい人ではない、自分と。

 

もちろん、新しければ即ち良しか、というとそうではない。古い人、経験者ならではの良さもあるだろう。ただ、物事を前に推し進めるのは、いつだって、未熟で、不安げで、でも勇敢な、新しい人たちだ。それは、歴史が証明をしている。賢い経験者は、新しい人へのアドバイザーとしてはよいが、自身が主役に躍り出ようとすると、老害にしかならない。

 

そう考えると、僕は、会社の、そして社会の前進を止めてしまっているのではないか、と思ってしまった。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、本心で、そう思った。

 

子供の頃からSMAPを景色のように当たり前に目にしてきた世代として、当然、今回の番組は嬉しかったし、3人の表情を見て安堵するところもあったのだけれど、でも、やはり、それだけではなく、「お前は何か始めてる?」と、突き付けられたような気がした、というのが、僕の、偽らざるホンネ。

 

 

 

 

『アナログ』(ビートたけし)の余韻で思い出したこと。

僕はラブレター代筆屋という「アナログ」な仕事をしつつ、IT企業という「デジタル」を取り扱う会社で働いている。だから、アナログなもの、デジタル、双方の良いところを知っているつもりだし、双方を肯定する。

 

本書は、携帯電話やメールといったデジタルなものを敬遠する男女が、固定の曜日、固定のお店だけを頼りに出会い、恋をする物語だ。ビートたけし、ならびに北野武の大ファン、いわゆる”キタリスト”である僕は、北野武著というだけで諒とするため、本書の良し悪しを冷静に評価することはできない、という前提はあれども、読後しばらく、余韻に痺れた。

 

ただ、じゃあ、携帯電話のない生活に憧憬を抱くか、というと、それは話が違ってくる。携帯電話のない生活など考えられないし、なくては、困る。

 

 

本書を閉じた後、そういえば、携帯電話のない時って、どうやって待ち合わせとかしてたんだっけ?と過去に思いをめぐらせてみた。

 

僕がPHSPHSって何?という方もいるかもしれないが、ここでは、携帯電話と同義と思ってもらえばよい)を持ち始めたのは大学一年の時。だから、それ以前は、固定電話や公衆電話を使っていたことになる。待ち合わせや人との連絡で困ったような記憶もないので、それなりに上手くやり取りをしていたか、もしくは、不便なのが当たり前だったので、多少の行き違いなどがあっても気にならなかったのだろう。20年以上前のことなので不確かだが、なんとなく、後者の気がする。

 

 

固定電話で、ひとつだけ思い出すことがある。

 

高校時代。入学してからはじめての文化祭を控えた一週間ほど前だっただろうか、夜、家でテレビを観ていると、「慎太郎ー、電話よ」と母親から声をかけられた。電話?こんな時間に誰からだろうかと訝りつつ受話器を受け取ると、

 

「あ、小林くん・・・。久しぶり、覚えてるかな?」

 

遠慮がちな声がきこえてきた。
一瞬誰かわからなかったが、思い出すのに時間はかからなかった。中学の同級生だった。

 

「あぁ・・・、うん」

 

愛想なく答えた。気取ったわけではないが、母親が聞き耳を立てている気がして、おのずとそうなった。

 

「どうしたの?」

 

僕の問いに、

 

「うん、あの、小林くんの高校、今度文化祭があるでしょ?」
「ああ、そうみたいね」
「でね、その・・・、案内してもらえないかな?」
「案内?」

 

なんのことかわからず問いを重ねると、

 

「そう。文化祭に連れてってほしいな、って・・・」

 

ああ、そういうことか。僕は合点した。ただ、どうしようか、と思案した。
中学の頃から彼女が僕に好意を寄せてくれていたのは気づいてはいたが、当時僕には他に好きな子がいたので、やわらかく距離を置いてきた。今も状況は同じなので、彼女の言葉に好意的な返事はしかねた。

 

ごめん、ちょっと難しいかな。僕がそう言おうと口を開くと、

 

「連れてってほしいな・・・」

 

返事を塞ぐように、彼女が言った。
機先を制された形になった僕は、

 

「・・・そうね、いいよ」

 

と応じる形になった。
その後、嬉々とした様子の彼女と、待ち合わせ時間、場所を決めると、受話器を置いた。

 

 

 

当日、彼女は来なかった。
待ち合わせ時間を間違えてるのかな?としばらく待ってみたが来なかった。

 

今だったら、LINEや携帯電話で連絡をすれば済む話だが、当時はそんなものはなかったし、公衆電話で連絡をするにも彼女の連絡先も知らなった。

 

一週間の間に彼氏でもできたかな?
時間を間違えてる?
日にちを間違えてる?
僕のことが嫌いになった?
事故にでも遭った?

 

待っている間、色々と考えた。それまでまったく気持ちがなかった彼女のことについて色々と考えた。想った。

 

結局、引きずられるようにずるずると一時間ほど待ったが、彼女は来なかったし、それ以降、電話が来ることもなかった。なんだったのか、今でも、理由は不明だ。

 

 

 

アナログ。
確かに、あの頃のように、誰かを待ってやきもきしたり、どきどきしたり、ということはなくなった気がする。当時はストレスでしかなかったが、それも「想う」ことなのだと、今は、思う。

 

おうとつのない、些細な思い出だが、『アナログ』を読み、ふと、よみがえった。

 

 

 

 

誰かを「想っている人」のこと。

ラブレターを代筆する際、詳細のヒアリングのため、依頼者と直接お会いしている旨を伝えると、「え!?会うんですか?怖くないんですか?」と、たまに驚かれる。

 

「怖い?」

「そう。だって、どんな人が来るかわかんないじゃないですか?それに、ラブレターの代筆をお願いする人って、すごい想いが強そうだし、結果がダメだった時が大変そう・・・」

 

怖い、という発想はなかったが、確かに、そういう考え方もあるな、とは思う。ただ、僕が男性だからということもあるだろうが、この仕事をはじめる際、怖そうだな、という発想はなかったし、実際、怖い思いをしたこともない。皆さん、良識的で、常識的だ。

 

想いを寄せる人に対して、ラブレターで気持ちを伝えようとする人たちだ。怖いはずがない。不誠実なはずがない。

 

 

この仕事をはじめて気づいたことがある。

それは、誰かに「想われている人」より、誰かを「想っている人」の方が、魅力的ということ。

 

切実で、真剣で、深刻で、不器用で、実直なその表情を、僕は愛する。

 

 

先日、とある女性の依頼者の方と話をしていて、その方には約一年間片思いを続けている男性がいるのだが、「私、一年も何してるんでしょうね。まったく振り向いてもらえないのに、ずっと想ってばかりで、疲れちゃいました・・・。無駄な時間ですよね」と言われた。

 

疲弊した言葉とは裏腹に、表情は、生きていた。

恋愛感情とかそういうことではなく、ステキだな、と思った。

 

 

想う、という行為は、当たり前のようでいて、当たり前ではない。

想う対象が、いつだってあるわけではないし、いつだっているわけではない。それらがあるということは、とても貴重なこと。

 

「無駄な時間ですよね」

 

依頼者の言葉に、僕は具体的な言葉を返すことなく、黙って耳を傾けているだけだったが、

 

「どうでしょう、ステキな時間だと思いますけど」

 

本当は、そう言葉をかけたかった。

いつだってあるわけではないし、いつだっているわけではないのだから。

 

 

 

「大丈夫?」も言えなくて

昔のことを振り返ったり、子供の頃の話を親や友人としていると、思い出す人がいる。

 

彼女のことは、昨年に出版させてもらった書籍にも記したが、名前は、恵理ちゃんにしておく。恵理ちゃんは、僕がはじめて、この人のこと好きだな、と思った人。恵理ちゃんは転校生で、親しく話すような友人もいなかったように記憶しているが、小学校中学年の僕は、恵理ちゃんに、恋をした。

 

きっかけは、単純なもの。

 

「かわいそう・・・。痛いよね、これ。後で、ばんそうこうあげる」

 

恵理ちゃんがかけてくれた、その一言だった。
当時、僕はひどい乾燥肌で、手の平のひらがボロボロに向けていた。クラスメイトにそのことをよくからかわれていたので、極力手のひらを見せないように過ごしていたのが、ふとしたきっかけで、恵理ちゃんに見られてしまった。そして、からかわれることを覚悟した僕に、彼女がかけてくれた言葉が、前述のものだった。

 

 

痛みを抱いている人や、悲しみに沈んでいる人に対して、

 

「大丈夫?痛いよね?」

 

と声をかけることは、容易いようで、難しい。心では思っていても、言葉に出し、手を差し伸べようとする人は、そう多くない。それは優しさが欠けている、ということではなく、遠慮や照れ、躊躇といったどうでもいい感情だったりする。

 

どうでもいいことが、肝心なことを阻害する。

 

僕もそうで、38歳になった今でも、こんなことしたら迷惑かな、怪しいと思われるかな、とあれこれといらぬことに頭をめぐらせてしまい、行動に移せないことがままある。

 

でも、恵理ちゃんは違った。恵理ちゃんは肝心なことが、大事なことが、わかっていた。
彼女の境遇や生い立ちがそうさせるのか、そもそもの性質なのかはわからないが、とにかく、彼女はわかっていた。

 

 

そして、彼女に関連してもう一つ思い出すことがある。手のひらのやり取りより後のことだが、プールの授業中、プールサイドを歩いていた恵理ちゃんが、足を滑らせ、勢いよく尻もちをついたことがあった。

 

仲の良い友人がいれば、「ははは、何やってんだよー」と冗談交じりに笑い飛ばしたりできたのだろうが、恵理ちゃんにはそういう友人がいなかった。一瞬の沈黙のあと、周りにいた男子たちが、一斉に笑い声をあげた。それは、冗談交じり、といったものではなく、あざけり笑うような嘲笑混じりのものだった。

 

そして、僕も、笑った。
「かわいそう・・・。痛いよね」と僕の手のひらを案じてくれた人を、笑った。
おかしかったわけではないが、周りに合わせた。

 

恵理ちゃんはうつむていた。
恥ずかしさに顔を伏せたのか、涙していたのかはわからないが、髪で顔を隠すように下を向いていた。

 

 

それだけの思い出だが、今でも僕の中に残っている。
「大丈夫?」その一言くらいが、どうして言えなかったものか。

 

 

 

 

想いを超えることはできないけれど、その営みには価値がある。

今日に至るまで、約50通のラブレターを書いてきた。

 

「それだけやってれば、スラスラと書けるんでしょうねー」

 

そう声を掛けられることがある。
それであればいいのだが、正直なところ、そうではない。

 

数を重ねれば重ねるほど、書けば書くほど、よくわからなくなってくる。
想いを、依頼者の想いを形にするべく、文字を刻むのだけれど、刻むほどに、想いが逃げていく。そんな感覚におそわれる。

 

代筆屋の活動をはじめた当初、僕が書くことで、依頼者の想いを、100%、あわよくば120%余すところなく伝える。そう意気込んでいた。だが、いくつものラブレターを経て、その考えは消えた。消した。言葉は、想いを、超えない。いつからだかは忘れたが、そう思うようになった。

 

いつからだか、と書いたが、実のところ、最初の依頼から、そのことに気づいていたような気もする

 

最初の依頼は、文字通り、“代筆”だった。
内容は自分で考える。文字だけ、書いてほしい。
依頼者である二十代男性からのメールには、そう書かれていた。

 

文字だけ?訝しく思った僕は理由を訊いた。

 

病気のため、上手に文字を書くことができないのです。

 

メールはすぐに返ってきた。
僕は、依頼を受けることにした。
僕の役割は文字を書くだけとのことなので、依頼者からの文面を待った。
送られてきたのは翌日。

 

これだけ?
文面を目にした僕が最初に抱いた感想。

 

告白、ではなく、想いを寄せる相手へのお詫びの言葉。
ごくごく短い、文章とも言えない、まさに、”言葉”が置いてあるだけだった。

 

ただ、想いは伝わってきた。
短い、のではない。考えて、絞って、滲み出た、濃縮された言葉なのだと思った。

 

恥ずかしながら、50通ものラブレターを書いてきたものの、その時の依頼者のラブレターを超えるものを、僕は書けていない気がする。想いを、閉じ込められていない。

 

書けば書くほど、するりと、想いが逃げていく。

 

夢を追えば追うほど、愛する人への想いを募らせれば募らせるほど、なぜだか、距離が離れていく。その感覚に近いかもしれない。

 

言葉は、想いを、超えない。
僕は、そう思っている。別に悲観的に捉えているわけではない。

 

だから、依頼者の想いを100%伝える、などと思い上がったことをしようとはしない。
90%なのか80%なのか、とにかく、なるべく、想いをこぼさないように。そう心掛けている。
想いを、単純に文字として形にするだけなら、わりとたやすい。
ただし、手触りというか温度のようなものを伝えようとすると、途端に、容易ではなくなる。

 

100通なのか200通なのか、今後、僕がどれだけのラブレターを書くのかはわからないが、100%想いを伝えきることは、きっと、終生できないのだと思う。それでいいと思う。

 

想いを超えることはできないけれど、なんとか近づこうと、言葉を重ね、刻む。
その営みには価値があると思うし、そのことも含めて、ラブレターというものの良さなのだと、僕は思う。